技術を軽視する「教師人格者論」と「担任オールマイティー論」

【「教育相談」転身のススメ6】学校社会で技術が軽視される主な原因はこの2つだと捉えています。第1の「教師人格者論」とは「教育の成果」は「教師の人格に支えられる」という考え方です。この美辞麗句が様々な問題を引き起こしています。
 この通りに考えると「良い教師」になるためには「人格を磨く」ことになります。具体的には「身だしなみを整え」「立ち居振る舞いを磨き」「教養を身につけ」…というところでしょうか?それがダメとは言いませんが、それで「授業の質」が上がるのでしょうか?
 私は「良い教師」は何よりまず「良い授業」を実践できることだと思います。「それには人格」とすると鍛えようがないのです。「技術」と捉えれば、「誰でも、きちんと訓練することで、身につけることが出来る」のです。「出来る出来ない」は「練習(研修)の量と質」の問題になります。
 中には教員研修として「滝に打たれたり」「トイレ掃除に励んだり」「接客業を体験させたり」があるようですが、これらは「教師人格論」に基づいて何とか「人格向上」を計っているのでしょうが、それよりも「学習指導の技術」や「生徒指導の技術」を身につける方が役立つと思うのです。「教師オールマイティー論」については次回触れます