「担任(教師)オールマイティー論」も技術軽視と体罰助長の一因

【「教育相談」転身のススメ7】「担任(教師)オールマイティー論」とは「教師なんだから何でも出来るはず」という前提に立った行政・保護者・管理職・同僚間の見方のことです。これも技術軽視を生み、体罰を助長する要因だと捉えています。
 例えば、「いじめ問題」が起きると行政は指示を出します。「事実を把握しろ」「カウンセリングをしろ」「保護者にていねいな説明をしろ」。その他の場合も同じ。「学力をあげろ」「不登校を減らせ」「キャリア教育を徹底せよ」…。「指示をすればできる」が前提です。
 このため、管理職から教員への指示もほぼ同様に「あれやれ、これやれ」と来ます。できないと「教員免許持っているの?」「やる気あるの?」となります。
 新任教師が「初めての担任」で教壇に立つときの「手ほどき」すらあまり行われていません。まして、授業における「発声・板書・目配り・姿勢…」等の技術訓練などないはずです。「できる」が前提だからです。娘が学習塾のバイトに行ったときにはそれはそれは丁寧な技術指導が3ヶ月もあったのに…です。これが体罰助長にどうつながるかは次回述べます。