「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」

【授業研究】久しぶりに本格的なグループ体験をしました。とても刺激的で、大きな学びの始まりの予感があり、これからが楽しみになりました。

 私は35歳で高校教員になりましたが、しばらくしてからカウンセリングの勉強を始めました。そのトレーニングはグループワークを多用するものでした。「1対1」のカウンセリング・スキルよりも、グループの方が「教師のスキル」には役立ちそうだと感じた私は、途中からグループトレーニングを中心に学ぶようになっていきました。

 そのころはやり始めた「構成的グループエンカウンター」、ロジャーズの大発明と言われる「非構成的エンカウンターグループ」、色々と問題を起こしたと言われる「ST訓練」「感受性トレーニング」「Tグループ」などを学びづけました。それぞれの分野のトップクラスの指導者に直接手ほどきしてもらえる機会を得たことは実にありがたい経験でした。一時は、それらを専門として研究職に転身しないかという有難いお誘いもいただきましたが、お断りしていました。

 それはカウンセリングを学び始めたきっっかけは「教師になるため」だったからです。最初のころに私が感じていた「教師になる」の中身は、教科指導ができて、担任指導ができて、生徒指導ができるというイメージでした。プロのカウンセラーや大学の研究者は当日の私が目指す「教師になる」とはかけ離れていました。

 そこで「現場の教師である」ことにこだわり続けて管理職も断り、ひたすら「授業者・担任」としての実践を続けました。それでようやく定年退職直前に満足の行く高校物理授業を実現できました。これが世の中から注目され、授業改善を専門に仕事とするところにまでつながったわけです。そんなプロセスの中でふと気が付くと、40歳前後から本格的に取組んで学び続けてきたグループ・トレーニングからは遠ざかっていました。昨日は久々に本格的なグループ・トレーニングに参加しました。それもオンラインで。

 私にとっては遅い時間のトレーニングは刺激的でした。頭は冴えわたりとても寝付けない状態でした。昔は都内で学んでそのテンションを冷ますために、仲間と食事と酒を楽しみ、最終電車で語り続けて帰っていました。これが良い振り返りであり、手ごろなクールダウンになっていました。オンライン講座はこのクールダウンの「ルーティン」を持ちにくいのが欠点かもしれません。そこで久々にアルコール。気持ちよく酔うことができました。

 何より自分自身を見つめ直すためのトレーニングですが、今の自分の仕事に引き付けて考えることもしてしまいます。最近の私は「授業改善」をテーマに多くの先生たちを指導し、「新しい授業」を実践するスキルの分析はかなり整いました。誰の授業でもうまくできると自信はついてきました。しかし、その発想は「スキル偏重」に陥る可能性もないとは言えません。この部分補うためには、この種のトレーニングを組み込む必要性を感じ始めていました。

 しばらく続く連続講座です。第一夜が終わったばかりです。良いタイミングで、昔からの知り合いに素晴らしいお誘いをいただきました。コロナ騒ぎの中で「死」を意識した直後の学びは貴重でした。次の言葉を思い出しました。

「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語・里仁)

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