「書く」と「洞察」

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【授業研究】1日原稿用紙に万年筆で書きながら考えていました。次の本の「題名」「前書き」「目次」までを書こうとしていたのですが、「まえがき」だけで20枚程度書き直していました。

 書いているうちに気が付いたのは「そもそも私は何を言いたいのか」でした。というのは「まえがき」を1~2枚はすらすらと書けます。そのくらい書くと、これでは読者は作者が何を言いたいのかわからないだろうなあ‥と感じてしまいます。「まえがき」はいつも最初は適当に書いて本文に進んでいます。そして、全部書き上げてから「まえがき」を書き直しています。時には初回の校正が終わってから書きます。それは本文を書かないと「自分が何を伝えたいのか」が明確に意識できないからだということにもなります。厳しく言えば、書きなぐった後で、それらの「まとめ」を書いているとも言えます。今回はもっと明確に「書きたいこと」「伝えたいこと」を意識して、その上で書きたいと感じています。

 というより上記のような考えは、昨日、手書きで書き始めてから生まれた発想です。「うーん、書けないなあ」「そもそも私は何を言いたいのだ?」「具体的にはあれもこれもいいいことはわかっているけど、全体を貫くテーマはなに?」と自問自答していたということです。私にとっては、これは明らかに「手書きの効果」です。タイピングでもそういうことはある程度起きるのですが、「深さ」が違う気がします。

 私にとっては「手書き」の効果のひとつは「深いメタ認知」が起きることと、言えそうです。これが「脳の血流」を測定するなどの方法でリアルタイムで検査できると良いのですけどね。

 そんなことを考えつつ、今日もいちにち「書きながら考える」こととにします。
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