懐かしい訓練方法(4)

f:id:a2011:20211118072803p:plain

【授業研究】11/16の記事にいただいた質問の後半への回答です。

> トレーニングの中で小林さんに起きた、
>「一度に覚えて書ける量だんだんと増えていった」
> 「次を予測できるようになった」という変化は、
> それを意識したことで起こったことですか?
> また、1日30分で取り組む場合、
> 扱う題材を1冊の本のような長いものにした場合と、
> 新聞のコラムのような短い文にした場合とで、
> 効果に違いは生じそうですか?

 後半の以下の部分について回答します。
> また、1日30分で取り組む場合、
> 扱う題材を1冊の本のような長いものにした場合と、
> 新聞のコラムのような短い文にした場合とで、
> 効果に違いは生じそうですか?

 2つの体験を基に考えてみます。1つは私が弁証法の本を一冊書き写し、要約した体験です。2つは私が大学生のころに下宿の大家さんの息子を小学校6年生から中3まで家庭教師をしていた時のことです。かなり成績が悪くて5段階の3がほとんど。国語は2という状態でした。この子の国語を何とかしなくてはというところから始まりました。

 思いついてやらせたのは、朝日新聞の「天声人語」を教材にすること。「1週間に1~2個切り貼りして読んでね。わからない漢字や言葉は調べてね。それを基に勉強しよう」程度の指示をしました。
 そもそもほとんど本を読んだことのない子どもなのでわからない漢字・言葉がたくさんでした。更に社会常識も不足しています。家庭教師の際には国語的な話だけではなく、社会常識についても教えていました。それが楽しかったようで、「本を読む」ことが始まりました。中学になってからは「時々、要約してみよう」としました。
 この練習のおかげで彼の国語の成績はおおむね4になり、中2か中3のころには時々5だった記憶があります。高校はトップクラスの進学校に入り、国立大学に進み、市役所職員になりました。

 ここから質問を考察します。家庭教師でやったのは以下のことでした。
> 1日30分程度で取り組む。
> 題材は 新聞のコラムのような短い文。
 この方法は、「文章をあまり読んだことのない生徒」「一般常識も理解させたい生徒」「集中力・持続力が低い生徒」には役立つと言えそうです。しかし、「新聞のコラム」的な文章はさほど論理的ではなく、随筆・随想的な部分が多々あります。
 論理的にきちんと読む、論理的な文章を書けるようにするのは不向きな気がします。この部分を鍛えるには「社説」の方が良い気がします。

 一方、「小説を書く力をつける」のなら「好きな作家の作品を何冊も書き写す」ことです。私はあまり詳しくありませんが山崎豊子井上靖に訓練を受けたことがあるように、日本の作家たちには弟子と師匠、仲間の関係が多々あります。手塚治虫をトップとする漫画家たちも同様ですね。

 私のように「弁証法という思考方法」を身に付けるためには「様々な人の文章」では無理だと思います。また、硬い文章、論理的な文章を書けるようにするにも、1人か少数の人を手本にすることが良いと思います。そして「本」ですね。

 ついでに言えば、小説でも論理的な文章にしても「書き写す」だけでなく、「書く練習」も不可欠です。その第一歩は私がやらされたように「要約」です。次は「発表原稿」を書くことです。私の大恩師はしばしば「原稿用紙、千枚の発表原稿を書けたら1人前」と言っていました。

 私の発表原稿は以下です。40歳のころに新聞連載各回約800字。これを月2回×2年間(48回)連載して約100枚。それに続いて月刊誌連載。各回約2000字(=5枚)。月1回×2年間(24回)=120枚[ここまで220枚]。高校教諭在籍中に薄い単行本(初めての単著)1冊を上梓、これが約100枚[ここまで320枚]。その後、授業改善に関する本のうち、全部自分で書いたのは6冊。各200枚で計算すると、200×6=1200枚。[ここまでで約1500枚]。つまりようやく大恩師が言う、「千枚の発表原稿」の壁を越えました。

 この2年間は「月刊高校教育(学事出版)」の連載が各回約11枚。そろそろ2年間(24回)なので、11×24回=約250枚[ここまでの合計約1700枚]。これから何冊か出す予定の単行本で二回り目の千枚を乗り越えて、三千枚に到達できたらいいなあ‥というところです。

 先生たちにお勧めしたいのは、「生徒たちの読む力・書く力を育成する」ためには、まずは自分自身のそれらの力を高めることです。昔は大学卒業時に100枚程度の「卒論」を書くのが一般的でした。今はその関門をくぐっていない人が大半のようです。今からでも遅くないので、ぜひぜひ書いてみて欲しいものです。(私が初めて雑誌に投稿した原稿が掲載されたのは38歳ころのことです)[この項終わり]