再び「セレモニー」について考える(3)

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【授業研究】杉江氏のいう『セレモニー』は「実効性がないにもかかわらず授業の中でやることになっていると教師も子どもも了解している学習ステップ」と定義できます。そしてそれを繰り返すことの弊害は2段階になります。
①『セレモニー』の間、子どもたちの頭は十分には働かない。
②授業とは隙間だらけで間延びしていて
 真剣味の少ないものであると教えてしまうこと。

 上記の第1段階については杉江氏の著作に縷々説明してあります。ここでは第2段階について検討していきます。この②の説明で大事なことは
 〈授業〉とは〈間延びして真剣味の少ないもの〉と教えてしまうこと。
です。普通、先生たちは
「授業時間は大切だから、ぼんやりしてはいけない。
 真剣に集中して受けなさい」と言い続けいます。
もちろん先生たちも真剣に授業を行います。
真剣に(a)~(e)を行います。
 すると子どもたちは「ぼんやりすることが多い授業を受けること」が、
「真剣に授業を受けることである」と理解します。
実際、アタマを使わない時間に文句も言わず、不平も言わず、
「良い子にしていれば」、子どもたちはほめてもらえることになります。
このプロセスを杉江氏は「授業とは隙間だらけで真剣味の少ないもの」と、
「教えてしまう」と断定しています。

 だから「授業のやり方を変えなくてはならない」というのが杉江氏の主張です。
そのための様々な授業の方法をこの本では展開しています。
これはこれでとても大切なことがたくさん書いてあります。
しかし、私は次の点はとても根深いものであると感じています。
③先生たちは「授業は隙間だらけ」ということを子どもたちに教えている。
④子どもたちは
 「隙間だらけの授業に参加すること」=「きちんと勉強している」
 と理解する。
 更に大事なことは、
⑤先生たちも「隙間だらけの授業(研修会等)」を、
  実施することも受講することも「きちちんとしていること」と理解する。
ということです。

 この③④⑤はもう子どもの問題ではなく、大人の問題になっていきます。これはピーター・センゲが「子どもの学校における学び方」が、「大人の仕事の仕方の根本的な欠点」と指摘していることにもつながる気がします。[この項続く]

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