再び「セレモニー」について考える(2)

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【授業研究】杉江氏のいう『セレモニー』は「実効性がないにもかかわらず授業の中でやることになっていると教師も子どもも了解している学習ステップ」と定義できます。そしてそれを繰り返すことの弊害は2段階になります。

①『セレモニー』の間、子どもたちの頭は十分には働かない。
②授業とは隙間だらけで間延びしていて
 真剣味の少ないものであると教えてしまうこと。

この第1段階を詳細に検討することにします。
(a)授業開始時の前時の振り返り。
 おおむね次のように進んでいると思います。
 「前回の復習をしましょう。A君〇〇の公式はなんでしたか?」
 「はい、・・・・です」
 「そうですね。ではB君‥」
 この時、指名された生徒以外は「ぼーっとしている」ということです。
 「指名されなくってよかった」とほっとしている生徒は安心していて、
 調べることもしない方が多い気がします。
 杉江氏は
 【引用開始】そういった用語は教科書を見れば書いてあります。
  問答するほどのことがらでしょうか。
 「教科書のアンダーラインを引いた用語を確認しなさい」
  でいいのではないですか。【引用終了】
 と言います。このあとの文章も実に厳しいものです。項目だけを再掲しておきます。

(b)子どもに考えさせたのちの発表。
(c)指示が曖昧なグループワーク
(d)振り返りもせずに「わかりましたね」で授業を終わらせる。
(e)2,3人の子どもに感想を言わせて終わる授業。

 これらの第1段階で子どもたちは「授業というのはアタマをあまり使うことなく、そこにいればよいのだ」という体験をしてしまうということです。「それなに?」「どこに書いてあるの?」などと友だちに聞くと「うるさい」と叱られるので、黙ってぼーっとしている方が安全なのです。

 こうして子どもたちは「授業と言うのはアタマを使わなくてぼーっとしていればそのうち終わるものだ」と理解するようになるのです。このことを小学校1年生から大学生まで毎日のようにトレーニングしてきてしまうというのです。

 私の授業を受けた高校生や大学生が「小林先生の授業はアタマが止まらない」「ぼーっとしている暇がない」「疲れるくらいにアタマを使います」と繰り返し言ってきたのは、それほど他の授業ではぼーっとしていたということなのでしょう。ここまでが第1段階の検討です。第2段階は明日にします。[この項続く]

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