PDCAと演繹型思考

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【授業研究】昨日(2021/4/2)の記事は好評だったので気をよくしています。内容は「PDCAよりコルブの学習サイクルを大事にして欲しい」ということでした。その背景にあるもう少し深い問題を、少しだけ提示しておきます。
 私が言いたのは「PDCAがダメ」というのではなく、その根底にある「考え方」を意識してほしいということです。PDCAは「未来の目標」を設定して、そこから現在に向かって逆向きに「中目標・小目標(またはマイルストーン)」を決めていきます。こういう考え方を「演繹的思考法」といいます。一方、現在を基に少し先を予測しさらに進めてより遠くを考える考え方を「帰納法的思考法」と言います。科学的思考法とはこの両者を意識的に併用することと言うこともできます。
 世界では時代遅れになっているPDCAを日本は、特に文部科学省が使い続けるのはその考え方に問題があるからだという指摘もあります。そうであるならば、PDCAしかしらず、PDCAだけの世界に居続けることは、知らず知らずそういう世界観・思考方法に染まる可能性があります。別の意見にも耳を傾けたいものです。
 このことを指摘し続けているのは刈谷剛彦氏(オックスフォード大学教授)です。拙著「アクティブラーニング入門3」のp-128では以下のように紹介しました。

【引用開始】
28 ワンウェイ授業とベテラン教師は悪者?
〈斬新なスローガンと古典的思考方法〉
 「主体的・対話的で深い学びの実現」という斬新で素晴らしいスローガンは、その斬新な表現とは裏腹に現場では古典的な思考方法と組織論が蔓延(はびこ)っているようです。以下はオックスフォード大学教授・刈谷剛彦氏の意見です。「大学」を「高校・小中学校」と読み替えても通じます。
 現在、日本の大学人は教育改革に振り回され疲れ切っている。その原因は理念と現場のギャップであり、その根底にあるのは思考形式の違いにある。改革を進める側の思考は明治以降継続している「演繹型の政策思考」である。先進諸国の制度や理念を抽象的に理解し、その翻訳と解釈を基にして「現状を未来に進めるべき」という演繹的思考が根底にある。
 しかし、科学的思考は「現実を基に考える帰納的思考」と演繹的思考の両方を用いるべきである。この思考方法の偏りが現在の混乱の根本原因である。(※1)
 「理念と現場のギャップ」を古典的な「演繹型の思考」で埋めようとするか、「現実に基づいた帰納的思考」で埋めようとするかは大きな違いを生みます。この点で気になる事例を三つとりあげて論じます。一つは私の授業改善の方向は単なる「授業改善」であったこと、他の二つは演繹型思考がワンウェイ授業とベテランを悪者扱いしていることについてです。(※1 日本経済新聞2019/4/9朝刊の刈谷氏の投稿を筆者が要約)
【引用終了】

 刈谷氏の最近の著作としては「コロナ後の教育へ(刈谷剛彦著/中公新書ラクレ)」(※2)が良くまとまっています。文科省の資料だけを読んでいると気が付かない思考の盲点を鋭く指摘してくれています。おススメです。その中の一節を引用します。

【引用開始】(※2)p-106
   このような「入試改革」には中途半端な演繹による理想の実現という、政策決定に埋め込まれた思考の習性(クセ)が顔を出していた。入試を変えれば授業が変わる→授業が変われば「発展的に自分の考えを形成する」力が育つはずだというエセ演繹型のこうした危うい推論が、改革の土台を支えていた。実際に学校現場でどのような授業が行われ、そこで生徒たちが自分の考えをどのように発展させているのかを具体的な事例から帰納的に考えるのとは正反対の発想である。【引用終了】

 皆さんがPDCAだけではなく、コルブも意識してみることで、考え方が柔軟になり、行動の幅が広がることを期待しています。 

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