「良い説明をしている生徒をほめたりしませんか?」

【授業研究】佐原高校の研修会の中でアドラーに沿った説明をしました。私にとっては初めてアドラーに沿った論理的な説明をしました。不充分な点もありました。それを補足しながらまとめておきます。きっかけは、次のような質問が出たからです。
「生徒たちが問題演習をしている時に、良い意見を出している生徒や良い解答や解き方を出している生徒のことをとりあげて、全体に紹介したりほめたりはしませんか?」
 これはいかにも教室で起きそうなことだと思います。でも、私はそれをしたことがありません。私がそんなことをしなくても、良い解答・説明をしている生徒は友達に認められています。偶々、私が見つけた良い行動を全体に紹介するのは、「不公平」な気がしていました。
‥と色々考えてはみますが、私がなぜそんなことをしなかったのかを、論理的に説明することはしてきませんでした。‥できなかったという方がよいかもしれません。アドラーに沿って説明するとかなりうまくいきます。
「とりあげません。それはアドラーが言うように〈承認欲求を否定する〉からです。私が取り上げてほめると生徒はうれしいでしょう。そうすると次も先生に褒められようとして活動します。先生に見えやすくなるように活動するかもしれません。先生にとっては好都合かもしれません。それは先生の支配欲求を満たしているからです。
 生徒は先生に『もっと認めてもらおう、もっとほめてもらおう』と活動します。これは〈主体的な学び〉を阻害します。また、生徒たちは『私もほめてほしい』と言わば〈ほめられ競争〉が起きます。友達よりも目立とうとします。中には友達を蹴落とそうとする生徒も出てくるかもしれません。これは〈対話的な学び(協働的な学び)〉を阻害します。
 このように生徒の承認欲求を満たす活動を先生がすると、「主体的・対話的で深い学び」は成立しなくなってしまう可能性が大きいのです。だから、「先生が生徒の活動を取り上げて全体に紹介したり、ほめたりする活動は慎重に行う」必要があります。
 「それでは生徒はやる気が出ないのでは?」との疑問が生じるかもしれません。そんなことはありません。グループ学習がうまく進んでいる時は、生徒たちは友達を支えます。支えてもらった生徒は率直に「ありがとう」「これがとけるなんてすごいね」「あなたの説明の方が先生の説明よりよくわかる!」と口々に表現しています。これを受けて生徒たちは自分がグループやクラスに役立っていることを感じます。友達はお互いに「助け合う存在」であることを感じます。これがアドラーの言う「共同体感覚」だと思います。
 こうなると、授業者である私がほめてあげたり、取り上げて紹介したりする必要などありません。私の物理授業では、生徒たちは私が教室のどこにいて何をしているかすら気にすることなく、「主体的・対話的で深い学び」を実現していきました。
 先生はこの状況に不安を感じるかもしれません。それは生徒たちが「授業者の承認欲求を満たしてくれなくなる」からです。この不安はこれまで授業者が生徒たちに依存していたからです。この変化はつらいことかもしれません。しかし、授業者が〈他者(生徒)の承認〉に左右されることなく、主体的に歩き出す大きなきっかけになるのだと思います。