アクティブラーニングは後退?

【授業研究】珍しく秋祭りを楽しみすぎて、夜遅くまで飲み歩いていたせいか、土日とぼんやりしていました。ネット上の情報をだらだら眺めていて気付いたのは、今回の「審議のまとめ」に対して、「アクティブラーニングは後退」「なぜ後退したのか?」などの記事が多いことです。中には「アクティブラーニングに絶対反対」の意見を書き続けている人もいるのですね。知りませんでした。
 私は、後退しているとは感じていませんでした。日本の教育改革は「生きる力」を提唱した時(1984年)から、おおむねひとつの方向を目指していると感じています。いわゆる「ゆとり教育」の方向性も現在につながっていると思っています。私はいわゆる「ゆとり教育」の際の「少なく教えて、子どもの意欲を高める」という方向性に大賛成でした。
 しかし、具体的にはどうすればよいのかかがわかりませんでした。高校物理授業では実現できなかったと忸怩たる思いがありました。この宿題を抱え続けていたといってもよいのです。私が開発した物理授業はこの時の提出に遅れてしまった宿題という気分でもあるのです。
更に、現行の学習指導要領が提示した「言語活動の重視」と「思考力・判断力・表現力の育成」は、素晴らしいことだと感じていました。授業改善の方向性が一段と明確になったと感じました。特にこの時、文科省が作った3枚組のポスター(※1)に感動しました。
「一斉授業だけでなく‥(一斉授業だけではダメですよ)※()内は小林の解釈。以下同様」
「先生が説明するだけでなく‥(先生が一方的に説明するだけではダメですよ)」
「板書をノートに写すだけでなく‥(板書・ノートだけではダメですよ)」
 当時、新しい授業に取り組んでいた私には、力強い後押しを得た気持ちになったものでした。
時を経て、次期学習指導要領の諮問(2014年)では「アクティブラーニング」がそれほど重視されているとは感じませんでした。なぜなら、諮問の文章では中心は「主体的・協働的に学ぶ学習」でした。「アクティブラーニング」は括弧の中、それも「いわゆる」つきでした。更に、「成績も向上し、生徒が前向きになる授業」を指していることが明らかでした。(※2)
私はそうとらえていましたから、今回の「主体的・対話的で深い学び」という表現に大賛成です。「後退」どころか、授業改善が目指すべき方向は更に具体的で現実的に示されたと思っています。「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」のそれぞれをどう解釈し、どう実現していくのか。これは難しい問題です。
 あまり議論されていませんが、「主体的・対話的で深い学び」の主語は「子どもたち」です。(ついでに触れると「言語活動の重視」と「思考力・判断力・表現力の育成」の主語は「先生たち・授業者」でした) ここも重要だと思っています。先生が「主体的‥‥」を重視するだけでなく、子どもたちが「主体的‥‥」を実践することが大事です。しかし、「主体的にやりなさいよ」と命令すれば、そのとたんに主体的な学習は成立しなくなります。(センセイの顔色を窺うことになるからです)
 これは文科省の手落ちではなく、ここからは「授業者の課題」だと思っています。問題は「会議室から現場に」移動したということです。「現場の腕の見せ所」です。現場で毎日頑張っている授業者の皆さんが中心です。私はその現場のみなさんの支援を心掛けたいと思っています。
(※1)http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2012/07/04/1322425_02.pdf
(※2) 「…そのために必要な力を子供たちに育むためには,「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと,「どのように学ぶか」という,学びの質や深まりを重視することが必要であり,課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や,そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。こうした学習・指導方法は,知識・技能を定着させる上でも,また,子供たちの学習意欲を高める上でも効果的であることが,これまでの実践の成果から指摘されています。」(平成26年11月20日、諮問)