【授業研究】物理の先生たちが集まって高校生を行う公開講座の打ち合わせをしました。高校生数人に対して、1〜2名の先生がついてファシリテーションをするというものです。私はファシリテーションについて協力するために関わっています。
最終的な打ち合わせを始めたら意見続出。なかなか話がまとまりません。誰もが真剣に考えているのですが、どの意見ももっともなのですが、それでは公開講座が成り立たなくなりそうです。なぜなのかを考え続けていました。
たぶん、「実験をやるのだから、生徒が手を動かすべきだ」、「能動的にやらせるためには話し合いを充分にとるべきだ」「先生が指示をしてやらせるのはダメだ」「説明は間違いの内容に厳密で正確にするべきだ」などが先生たちの発言の背景にあるのだろうなと思いました。いずれも当たり前のことのように聞こえます。
しかし、物事の真偽は条件次第です。例えば、「すでにやったことのある法則の確認を実験でするとき」なら、「先生が指示をしててきぱきとやる」方が適切です。問題はその条件がみなさんに共通して認識されていないことです。その理由はたぶん授業全体をどうデザインしているかが語られていないことにありそうです。
私は自分の授業を他の多くの人たちと一緒に作るという経験がなかったので、この経験はとても良い経験になりました。一人でやっているときは自分の無意識に持っている授業デザインを基に作っても問題はありません。しかし、複数で集まると参加者がそれぞれに持っている「暗黙の授業デザイン」が衝突してしまうのでしょう。この暗黙知を形式知に転換していくことも、今後の重要な課題です。