「学校パイプライン」と「ヒドゥンカリキュラム」が全部悪いわけではない。

【授業改善の必要性9】工業化社会につくられた学校システムは、当然、工業化社会が求める人材育成がしやすいように変化していきます。その特徴を2つの用語を元に解説してきましたが、注意してもらいたいのは、「この2つが悪い」「この構造を破壊せよ」と言っているのではないと言うことです。
 むしろ、世界も日本もこの学校システムのおかげで資本主義を成長させてきたし、個々人の能力も学校システムのおかげで育成されてきたのです。特に日本においては戦後の大復興は、この学校システムの大成功によってもたされたと言っても過言ではありません。1クラスに50〜60人も詰め込みながら、優秀な労働者(=フォロアー)を着々と排出できたのはすばらしいことだったのです。
 私たちが理解しなくてはならないことは、この学校システムの中では、教師が意識していることとは、違う教育効果もつくられてしまう仕組みになっているということを理解することなのです。同時に、このシステムは不具合を起こし始めているということです。その根本的な理由は、今の社会が求めている人材と、この学校システムで教師の努力とは無関係につくられてしまう人材の傾向とが、ズレ始めたと言うことなのです。
 学校では「いい子」が就職試験で落ちたり、高校時代の優等生が大学の学業では行き詰まったり、学校では「だまって、じっとして」いればほめられたのに、会社に行くと「指示待ち型」と揶揄されるという現実が、そのズレを表しているということなのです。(この項続く)