「学校パイプライン説」と「ヒドゥンカリキュラム」

【授業改善の必要性6】「人間は社会的動物である(アリストテレス)」「人間は社会的に創り創られる(マルクス)」に代表されるように、人間は様々な「可能性」を持って生まれてくるものの、「現実的な能力」は社会的につくらるものです。したがって、工業化社会においては工業化社会に適用するように国民を社会的に育成するのは当然のことです。
  学校教育は一見、その社会に適応するために必要な「知識や技術を習得する」ための構造です。工業化社会においては、それとともに、前回述べたように「1%のリーダーと99%のフォロアーを育成する」ことも達成しなくてはなりません。しかし、ある時突然、「お前はリーダー、お前はフォロアー」と言われたら、なかなか納得できないことは容易に想像できます。
  また、「リーダーはリーダーとして、フォロアーはフォロアーとして」育成する必要があります。これを巧妙に入れ込んだのが、工業化社会に誕生した「学校システム」だったのです。そのキーワードは2つ。「学校パイプライン説」と「ヒドゥンカリキュラム」です。次回以降、解説していきます。(この項続く)