恩師の死

【日常の記録】少し前のことなのですが、大学空手部時代の監督さんが亡くなりました。1年生から4年生までお世話になった「恩師」です。私が2年生の時の大きな大会の団体戦の初戦、私が大将に指名されました。

 まだ茶帯(3級)だった私は初段・弐段の先輩たちが出るのが当然と思っていたので、指名されるとは思ってもいませんでしたから、返事が遅れました。センパイたちに「小林、どうした。返事しろ!」と怒鳴られました。焦って返事。解散。

 呆然としている私に監督が近づいてきて声を掛けてくれました。
「心配するな。大将の番が来る前に団体戦の勝ちは決まっているから」
「あ、はい。そうですよね」
「勝ち負けは気にしないで、思う存分やってこい。
 小林を大将にしたのは勝ちを期待しているのではない。
 これがうちの空手部の闘い方だという試合をお前ならできるからだ」

 光栄でした。感動しました。気が楽になりました。監督の「予言」通りに私の番の前にチームは4勝して団体戦の勝ちは決まりました。しかし、相手の大将は相手の空手部の主将で弐段。茶帯を当てられて怒っているのも伝わってきます。いささか、ビビります。先手を取るつもりでしたが「始め!」の合図とともに、物凄い勢いで突っ込まれました。後ろ、左後ろと捌いて体を付けて凌ぎます。

 これで相手のスピードも技も見切りました。「勝てる」と確信。終わってみれば9対4の圧勝。4失点は2本とられたからです。1本はさすが弐段と感心した離れ際の突き技。こういうベテランの闘い方は、まだ私は身につけていませんでした。この技はそのあとコピーして使えるようになりました。もう1本は後半。さすがに疲れて集中力が一瞬途絶えました。先の先をとられました。9-2のリードで少し気が抜けていたとも言えます。監督に叱られるかな‥といささか焦って終了。

 「よく、やった。いい試合だったよ」と監督。叱られずに済みました。昨日のことのように思い出せます。その監督が亡くなりました。次は私の番かな‥。元気なうちにやりかけの研究をまとめなくては‥。

 葬儀には行けませんでした。四十九日のお華を届ける準備をしています。