システムとしての授業改善で気になり始めたこと

【授業改善】どうも最近、気になり始めたことがあります。それは「組織的な授業改善」の成果発表や、報告書、時には校長が現わした本を読んでいる時の違和感です。そこには「組織的に取組んだ成果」が縷々書いてあります。
 その中身は「研究授業を何回やった」「延べ何人の先生たちが研究授業を実施した」「生徒たちの家庭学習時間が増加した」「教材がいくつ完成した」などです。生徒の声や保護者の声が取り上げてあるのは少しだけです。
 私が最も気になってきたのは「先生たちはどんな成長をしたのだろうか?」です。例えば「授業のスキルが向上して自信が持てるようになった」「生徒たちとのやりとりのコツをつかんだので授業が楽しみになった」などの声はほとんど読むことがありません。それらは「学校の成果とは関係がない」のかもしれません。
 記録には出てこない「先生たちのナマの声」を聴くこともあります。それらの大半は「疲れた」です。「今年は授業者だったから指導案作成も授業実践も大変でした。でもこれで数年間は回ってこない。ほっとしました」という意見は何度も聞いた気がします。
 ビジネスの世界では「企業の成果を上げるには社員の人間的成長が大事」という声を良く聞きます。それらが本当に実現できているかどうかは怪しいものですが、少なくともそれを標榜します。同様のことは学校教育ではあまりない気がします。「生徒の人間的成長」は当たり前のように盛り込まれています。しかし、それらは「先生たちの人間的成長」なしには実現できない事のように感じています。
 最近話題になっている「いじめ防止に力を入れていた学校」で「教員が集団で教員をイジメていた」という事件は、似たような問題である気がします。「組織・システムの成功」が「教員の自己犠牲やストレスの積み重ね」の上にしか成立しないのなら、教員採用試験の競争率が下がるのも当然です。
 モヤモヤが続きます。 

f:id:a2011:20190822064657p:plain

小林のHPはこちら。研修会講師のご依頼もこちらからどうぞ。

  →http://al-and-al.co.jp