昨日、感じていたこと。

【授業研究】昨日のイベントで1日中、授業改善のことについて考えていました。考えるのが好きな私は、考え始めると止まらなくなります。昨日、引っ掛かり続けたのは、「褒められ競争」と「生徒と教師(大人)の対等性」です。
 私自身も含めて、イベントで多くの人たちが集まっていると、発言する人の意識がどこにあるのか、その人の発言が他の人にどんな効果(影響)を及ぼしているのかが気になります。発言している人が、誰に「褒められたいのか」も気になります。
組織の中にいる人たちは、組織の中で「評価されたい」「褒められたい」「間違えていると批判されたくない」が強いような気がします。或いは、イベントの中では「私が目立ちたい」なのかもしれないなあ‥と感じる発言もありました。もちろん、中には、単純に話したくなったから話していますという感じの方もいます。こういう発言はすんなりと聞き入れることができます。
そうやって考えていくと、私自身は、かなり傍若無人なのかもしれません。現在の私は、発言に制限を受けることはほとんどありません。「こんなことを言ったら、叱られる」とプレッシャーを感じることもありません。自分の思うままに発言して、多くの人に聞いてもらって、時には「同感です」「ヒントをもらいました」「うれしかった」などと肯定的なフィードバックをもらうことも多々あるのですから、うれしいことです。幸せなことです。
「だから、嫉妬されるのですよ」と言われたのは夜の宴会の時。ある人に傷つけられたことを話題にしている時のことです。「それもそうだろうなあ」と思います。カウンセリングで大事にしている「受容」は、「相手の発言を受け止める」と狭義に解釈されることが多いのですが、私は「自分自身の生き方」として「自分に起きる全てのことを受け入れる」ことではないとか感じています。だからと言って「右の頬を打たれたら、左の頬を出す」ばかりではないと思っています。自分の身体と心と使命を守るためには反撃もします。しかし、全体の利益のためには小事に拘り過ぎて、感情に振り回されたり自分のミッションを見失わったりしないように、「誰とでも対等な関係性を維持し」「ほめられ競争に巻き込まれることもなく」、淡々と歩き続けたいものです。