みらつく2011Summer【2】

 粘土細工の後に改めて「メンタルモデル」を見直して、「捨てたいもの」「残したいもの」を考えました。私が「残したいもの」は、一般的な行動計画のようなものになりました。

 左のようにまとめました。大きく分けると「鳥の目」「虫の目」そして「魚の目」を持って活動していきたいというものです。
 「鳥の目」は全体を俯瞰する目を持つことです。【1】で触れたように現在の日本に漂うメンタルモデルは一見「ネガティブ」です。しかし、100年200年のスパンで見ればそれほど特殊な状況ではないような気がします。また、視点を変えればポジティブなことにも見えます。それは、多くの人たちが似たようなメンタルモデルの存在に気づき始めているということです。状況を意識化でき、言語ができ、共有することができるなら、行動へつなげることもできるようになりそうです。このような視座を持ち続けたいと思いました。
 「虫の目」は目の前の出来事にきちんと対応していくことです。全段の「鳥の目」はうっかりすると「消極的受容」=「諦め」になりかねません。俯瞰できる状況は理解しつつも、目の前の状況に対しては精一杯の対応をし続けようと思いました。高校教師としての私がやるべきことは「目の前の生徒に対してマイベストの授業」を提供することです。文科省が悪い、学校が悪いではなく、「今できること」を、「目の前の生徒のため」にやる。これを維持していきたいものです。
 そして最後が「魚の目」です。「水の流れを見る」ようにか、「泳ぎ続けて目に映るものを見る」ようにか、判然としませんが、「流れを理解する」=「時間の流れと意味を理解する」ことが「魚の目」ということのようです。たぶんこれは「鳥の目」と「虫の目」を持ち続けることで見えてくることです。
 以後の世界の言葉で言えば「着眼大局、着手小局」なのでしょう。私にとっては「魚の目」に意味が新鮮に理解できた瞬間でした。