57年も前に目撃した事故の真相

【日常の記録】最近、仕事に疲れるとYouTube動画を見て気分転換しています。このところ航空機事故を扱うサイトを見ていたら、1966年に静岡県御殿場市の富士山麓に墜落したBOAC機(英国海外航空機)の記事に遭遇しました。

 当時の私は静岡県御殿場市の中学1年生、バレーボール部に属していました。1964年の東京オリンピックでは日本の女子バレーボールが金メダルに輝きました。しかし、まだ中学校のバレーボール部は9人制でアウトドア。1年生の私は球拾いなのでヒマ。北向きに立っていたので、正面に富士山が良く見えていました。

 何気なく見上げた空には富士山の方向に向かって飛んでいる飛行機。「なんだか低いな」と思った瞬間、主翼付け根あたりから黒い煙が出て、機体は傾き、富士山の麓の太郎坊付近に墜落してしまいました。あまりにも非現実的で「模型飛行機かな?」と思っていました。すぐに先生たちが何人かグランドに飛び出してきて騒ぎ始めました。部活動も中止になり、帰宅の指示が出たような気がします。そのうちグランドの隅で小さな騒ぎが起きたので行ってみると2メートル四方くらいの金属板が落ちてきていました。墜落機の一部だったそうです。同級生に地元のお寺の子どもがいました。何回も遊びに行ったお寺です。そこが遺体安置所になり、友だちから色々な話も聞きました。衝撃的な体験で良く覚えています。

 YouTubeウィキペディアによると、機長が乗客サービスに富士山を見せようとしてこの経路を選らび低空飛行をしていたとのこと。富士山付近特有の乱気流に巻き込まれたことが原因。今はこの空域飛行は禁じられているようです。詳しい原因を約60年もたって、初めて知りました。