「対話スキル」の重視が強み

【授業研究】気が付くと最近、新しいことに関する話し合いをあちこちでやっています。これはとても楽しいことです。それぞれの会議に参加しながら、この新プロジェクトに対して私はどんな側面で貢献できるのだろうと考え続けます。

 昨日(9/30)の会議では私が実践してきた授業では「対話(ダイアローグ)」を重視してきたことを改めて強く感じました。「グループワーク」ではなく「対話」なのです。要点をざっと列挙しておきます。

 私の高校物理授業の目的は「科学者になる」=「科学的な物の見方・考え方を身に付ける」ですが、そのためには「科学的な〈対話〉力が大事」と設定しました。その力を身に付けるために「態度目標(しゃべる・質問する・説明する‥)」を設定しました。

 説明が短時間だったのは、その後の問題演習の時間にチーム内の〈対話〉を促進するための仕掛けでした。更に、問題演習の最中には「チームで協力出来ていますか?」などと「質問で介入」していましたが、これも〈対話〉を促進するためです。確認テストを相互採点させるのも生徒同士の〈対話〉を促進するためでしたし、リフレクションカードを書かせていたのも〈対話〉の質向上を目指していたからです。

 さらには授業以外の時も私は生徒とよく話していました。それを私は生徒共に授業改善をしていくための〈対話〉だと意識していました。私のアタマの中ではこれらがきれいにつながっているのですが、私の授業の特徴を語る人は現象的に細切れにします。「パワポの説明」「板書・ノートなしの説明」「練習問題と解答解説先渡し」「長時間のグループワーク」「確認テスト」「相互採点」「リフレクションカード記入」‥という具合です。

 部分部分の現象の説明としては間違えてはいないのですが、こうやってパーツを羅列すると「対話」は消えてしまいます。「主体的・対話的で深い学びの実現」というスローガンは、いずれも「何かをやればよい」のではなく、学校生活全体を通して根底を流れていく「通奏低音」のような存在だと私は思っています。

 昨日の会議では私のこの発想は「経済的」な側面からもメリットがあることがわかりました。質の良い授業・質の高い教育は「生産性を高める教育」でもあることは理想です。私がやっていることはそこにもつながりそうだとわかり、うれしい気分になりました。