自分自身を疑う。

【授業研究】少し前に伺った研修会でいただいた謝金が見つかりません‥。記憶では「大きなビニールケースに研修会資料とともに入れた」はずでした。そのケースのままマネージャーのYさんに渡すためにバッグに入れたままにして、次のホテルに移動していました。出張続きの中で大学に出かけたので、大事なものは「研究室のロッカーに入れた」つもりでした。ところが、「ない」のです。
 研究室をあちこちひっくり返してみても見つかりません(-_-;)。自分の部屋も旅行用のバッグも全部開けてみても見つかりません‥。「ホテルに忘れた?」‥その可能性もあると思い、Yさんに3つのホテルに問い合わせてもらっても「ありません」の回答。昨日は、「今日こそ、探し出そう!」と授業の合間に研究室を整理。‥‥しかし、ありません。ロッカーにも本棚にもデスクにもありません。
「『研究室に置いた』は記憶違いか?」と考え始めました。それが記憶違いなら、他にも記憶違いがあるかも‥「『大きなビニールケースに入れた』も記憶違いか?」と自分を疑い始めます。自分の部屋を探しているうちに、そのビニールケースを発見。しかし、中身は「なし」。ここで『大きなビニールケースに入れた』は完全な記憶違いか、「一旦は入れたものの、そのあと出したことを忘れている」と推測。
 となると、謝金は別の形でどこかに入れてあることになります。また、記憶を手繰ります。謝金は郵便用の封筒に入れてあり、それをA4サイズの学校名付きの封筒に入れた記憶はあります。では、探索対象を変更しなくては‥。場所は「研究室→自分の部屋」、対象は「A4サイズの学校名入り封筒」です。新しい封筒類はデスクの左側のボックスに並べてあります。そこを見ると、「ありました」。
 私は若い時から、時々、「やろうと思ったこと」を「やってしまった事実」として記憶してしまうことがあります。今回もその部分がありました。更に年を取ってくると「認知症かな?」と気になることでストレスも増大します。いろいろな対応策をとらなくてはならないと反省しています。‥とはいえ、自分の記憶の間違い探しをしている時は、物理・数学の問題を解いている時のような楽しさもありました(笑)。
 自分の考えを「常に疑う」、自分の考えには間違えた「前提があるかもしれないと疑う」、などのトレーニングには役立ちました。