「大人を生徒役にして授業をするのが難しい‥」(4)

【授業体験】この議論が中断してしまいました。先生たちの授業研究の方法のひとつとして、先生の1人が「授業者」となり、他の先生たちが「生徒役」となって授業を受けるという形式です。その体験を基に振り返る方法です。このときに、しばしば「授業者」が先生役になりきれないのはなぜかを議論してきました。
 私は2つの理由があると捉えています。1つは普段の授業の時に生徒たちを子ども扱いしているからではないかと思っています。乱暴な話し方や子ども扱いした進め方は、さすがに大人が「生徒役」をしているときにはやれません。そのために、普段通りの授業はできなくなってしまい、ぎくしゃくしてしまうのではないかと言う仮説です。この対策は簡単です。普段から生徒に対して丁寧な対応をすることです。それが「安全安心の場づくり」にも大きな力になります。
 もう1つの理由の仮説です。それは、「自分のやっていること(スキル)を伝えるには、説明しなくてはならないという思い込み」です。授業者の授業スキルを生徒役の先生たちに表現して、伝えて、それを基に振り返りをする研究方式です。授業者は自分の授業スキルをできるだけ正確に丁寧に「生徒役」の先生たちに伝えたくなります。すると、「解説・説明」が始まるというわけです。これは、「授業研究」の方法としては、それほど違和感がないかもしれません。しかし、例えば、野球のバッティング技術(スキル)を伝える時の場面を考えたらいかがでしょうか?
 先生がバットをもって何度も振って見せながら、解説します。生徒(受講者・弟子・選手)はその説明を繰り返し聞きます。でも、バットを持たせてももらえません。振ることもありません‥。これではバッティングがうまくなるわけがないと誰でも気づくはずです。
 つまりバッティングのような技術指導であれば、生徒に体験させることを通して技術(スキル)伝達をするということは常識です。これが授業研究で理解されていないからだというのが私の仮説です。これは、授業力は「技術・スキル」であるということが共通理解になっていないことが根本的な問題なのかもしれません。
 専門領域の「知識」が増えればよい教師になれるという考え方に問題があるのかもしれません。もう1歩踏み込めば、教師の質は「人格・人間性」であるという考え方に問題があるのかもしれません。実はもうすぐ発売される拙著「アクティブラーニング入門」は授業力という技術をどうやって誌面を通して伝えるかということへの挑戦をしています。このあたりについてご意見をいただけたらありがたいです。(この項終わり)

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