「大人を生徒役にして授業をするのが難しい‥」(2)

【授業体験】私が大人である先生たちを生徒役にして授業体験をする時には、次のように始めます。「では、実際の私の物理授業を体験していただきましょう。普通私は休み時間から物理室に入って、三々五々入ってくる生徒たちに挨拶しながら迎えます。つまり全員が入った時には全員と挨拶が終わっているので、起立・礼・着席を省略して、チャイムが鳴り終わるとすぐに説明を始めていました」
 「さて、今日の内容目標は『熱と温度』です。これについて最初の質問です。アインシュタインノーベル物理学賞を受賞しているのですが、何の研究で受賞したと思いますか?各グループで30秒くらい話し合ってください」・・・・
 このあとは、このままの調子で最後まで続けます。私は普段から高校生向けの授業でもこのように、「です・ます」で話していましたから、違和感もなくそのまま話していきます。
 ところが、研究会で時々失敗する授業者は次のようになります。代表的な例をあげます。私の授業を例に示します。
 「では、実際の私の物理授業を体験していただきましょう。普通私は休み時間から物理室に入って、三々五々入ってくる生徒たちに挨拶しながら迎えます。つまり全員が入った時には全員と挨拶が終わっているので、起立・礼・着席を省略して、チャイムが鳴り終わるとすぐに説明を始めていました」
 「さて、最初は今日の内容目標を示します。今日の場合は『熱と温度』です。で、すぐに授業内容に入ります。と言っても、解説を始める前に生徒の興味を高めるためにエピソードから始めます。それも質問から入るほうが反応がいいんですね。そこで、私の好きなアインシュタインの話を持って来まして、ここから入ります。まあ、例えば『アインシュタインノーベル物理学賞を受賞しているのですが、何の研究で受賞したと思いますか?各グループで30秒くらい話し合ってください』と質問するわけです。ここで、以前は『アインシュタインノーベル賞を取ったと思いますか?』と質問していたのですけど、それは止めたんですね‥」
 という具合です。要するに「生徒役」と設定しているはずの先生たちにに対して、「先生=大人」に対しての説明を始めてしまうわけです。「生徒役」の方は混乱してしまいます。どこまでが実際の授業の部分なのかがわからなくなります。解説を聞きながら、「なるほどそいう背景があるんだなあ」などと感じたとしたら、それはもう「生徒役」ではありません。こうして、「授業者」が授業者としての役割を果たさないために、「生徒役」も生徒としての体験を充分に味わえなくなってしまうのです。(この項続く)