「放牧?」「ドッグラン?」

【授業研究】某高校で物理授業の実践をしました。私は最近、この飛び入りで授業をやることが楽しくなっています。初対面の生徒相手に1コマの授業時間をもらって、授業をするのです。それも、担当の物理の先生の授業計画を邪魔してはいけないと思うので、その先生が前回終わったところを伺って、「その次」を担当するのです。
 つまり、どこを担当するのかは直前までわかりません。どこをやりたいかの選択の余地は私にはありません。そして、生徒とは初対面です。自己紹介等の時間をとる余裕もありません。その学校の通常の時間で実践するのですから、簡単な自己紹介と私の授業の目的・目標・ルールの説明もその中に含みます。しかも、多くの場合、何十人もの先生たちが見学しています。
 こんな「悪条件?」の中で「AL型授業」を実践して成果を上げるのはなかなかスリリングです。このことが私は楽しいのです。もともと、越ヶ谷高校で授業をしているときも毎回がチャレンジの連続でした。何が起きるかわからない、起きたことに適切に対応することを楽しんでいました。
 先日、某高校で実践した後、W先生が次のように言いました。「いや〜、小林さんの授業を見て、『生徒に自由にやらせるだけではだめだ』と思いました。あんな風にこまめに丁寧に介入することが必要だし効果的なのですね。今まで私がやっていたのは単なる『放牧』みたいなものでした」
 要は「ファシリテーションが必要だ」ということです。「放牧」という言い方は面白いなあと思いました。昔、同様の意味で「ドッグラン」と言った先生もいたことを思い出しました。生徒を牛や犬のようにたとえることは失礼だと思いますが、わかりやすい表現ではあります。「ただ自由にさせる」ことと、「学習・成長の場をつくる」こととは違うということです。