【授業研究】断続的になっていますが、1/28の続きです。全体の構成は下段に示しました。今日は「2 「学習としての体験授業」には必要な構造がある。」の途中からです。
「学習としての体験授業」をロールプレイであるととらえると、「生徒役」が「生徒」というロールをできるだけリアルに体験し続けることが必要です。そのためには「先生役」の授業者が、「先生役」をきちんとやることが必要です。
しかし、これができていないことが多々あります。例えば次のような場面です。
「先生役」の授業者が「生徒役」の参加者に向かって、授業内容の説明をして
います。『説明はここでひと区切りです。次にプリントの1番の問題をやりましょ
う。この問題はとてもやさしいので、先生たちには大変失礼ですから、まあ、やっ
たことにして次に進みますね』‥
おわかりでしょうか?生徒に向かって説明しているはずの授業者が、「生徒役」に向かって、「先生たち」と呼びかけています。そうなると、「生徒役」の先生たちの意識は突然現実に引き戻されてしまいます。「ああ、なるほど。私たちにこんな易しい問題をやらせるのは失礼だと気を使ってくれているんだ。気配りができる人なんだなあ‥」と考えたとしたら、この意識は「生徒役」ではなく、「現実の自分自身=教師の立場」に戻っていることになります。
これに類した発言は他には以下のようなことがあります。
・「じゃ、次は動画を少し見てください。ここで動画を入れるのは、
ここまで私の説明がずーっと続いているので、
生徒にちょっとリラックスしてもらうという意味もあります‥」と
自分の授業の構造や意図を説明する。
・「この図は本来なら示すべき要点をいくつか省いてあります。
たぶん専門の先生たちから見ると、色々なご批判もあると思います。
でも、勤務校の生徒たちはこの科目に苦手意識が強いので、
できるだけ抵抗感を小さくしようとして、こんな図にしています。
ご容赦ください」‥これも「参加している先生たち」に向けての解説です。
もうひとつ、面白いことを体験したことがあります。ある先生が授業者だったときに、説明の途中で何度も話しにくそうにします。しばしば、言い直しをします。いわゆる「噛んでしまう」ことが繰り返されます。「不思議だなあ‥」と思っていると、以下の説明がありました。
「いやー、こんな大人の、それも先生たちの前で授業をするのは緊張しますね。私より年上の方もいますしね。ドキドキです。普段生徒たちには『おいこら、わかっているのかあ』とか、『教科書は〇ページだぞ!違うところを開けている奴いないかあ?』なんて言っています。今日はそうはいかないですものね。だから、何度も噛んじゃうんですよ。すみません。許してください」
私は元々、先生が生徒に向かって「見下した話し方」「乱暴な話し方」をすることにとても違和感があります。私自身は高校生・大学生に授業をするときには、いつでも「~です」「~をしてください」と丁寧な話し方をしています。たぶん、高校生の時の「尊敬する担任の先生」や「大好きな物理の先生」が、高校生の私たちにそういう話し方をしてくれていたことが基になっていると思います。
その後は、カウンセリングなどを学んで、「人間としては対等」と実感するようになると、更に意識して丁寧な話をし続けています。それなので、教室で、生徒を見下した話し方をしたり、乱暴な話し方をしている先生は改めた方が良いと思っています。生徒を「安全安心の場」に置くことができないからです。ついでに「学習としての体験授業」の授業者としても壁にぶつかることになるからです。(この項続く)
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※4回続けている論考の全体構成は以下です。本日の部分は「2」です。
1 「新しい授業」を始めるのには、
「生徒役としての授業を受ける体験」が不可欠である。
(※この授業のことを「学習としての体験授業」と呼ぶことにします)
2 「学習としての体験授業」には必要な構造がある。
3 「学習としての体験授業」のあとに「振り返りと気づき」を促す構造が不可欠である。
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