教師の役割が変わる2

 ここ5回にわたって述べてきたことをまとめた上で、問題点を指摘し解決策を提示したいと思います。
 まず、文科省のビラについて。私はこの内容は正しいと思っています。
ただ、現場の先生たちはこれを見ると悲鳴や文句が出てくることが多いのです。
それもまた仕方がないことと思います。具体的には以下のような悲鳴と文句です。
「今でも1年間で教科書を終わらせることで精一杯。その上に発表や話し合いの時間を入れたら、
  とても教科書を終わらせることが出来ない」
文科省の指示は次々と俺たちにできないことをやらせようとする。現場を無視している!」
 なぜ、こうなるのでしょうか? 以下、私のまとめです。

1 文科省の理念はほぼ正しい。臨教審以来の「生きる力」も、その後のいわゆゆる「ゆとり教育」も正しい。
  なぜなら、それは世界の経済構造の変化に伴う新しい教育理念を提示しているから。
2 ただ、その理念は正しいものの、以下の2つに問題がある。
  (1)理念を、文科省→各都道府県の教育委員会→現場の教員、と各段階を経て伝達徹底することができない。
  (2)この授業を実現するための技術開発と技術訓練の場がない。
3 理念が伝わらない理由は残念ながら私には詳細がわからない。
  しかし、現実に文科省の要職にある人の中にも、「わからない」という人がいたのも事実であるし、
  教育委員会の中には「部署が違うから」と逃げる人もいた。
  何より残念なのは校長・副校長・教頭などの立場の人たちに「わからない」という人が多いのは事実である。
  当然、最前線で教えている教諭の中には「知らない」「(学習指導要領を)読んだことがない」
  と言う人はたくさんいる。
4 技術開発と技術訓練の場がない。この発想は私のユニークな視点かも知れない。
  そう捉える理由は以下である。
  (1)ビラを見て教師が悲鳴を上げる理由は、
    発表や話し合いを今の時間枠の中に入れる「技術」がないからである。
  (2)そもそも、多くの教師はそんな「技術」をみたこともない。
    (教師の大半はそんな授業を見たことも受けた経験もない)
  (3)「反転授業flipped classroom」が指摘しているのは「立場の変更」である。
    立場が変更すれば有効な「技術」も変化する。
    (壇上から生徒たちを動かす技術と、
     隣にいて生徒たちに寄り添いながら支援する技術が異なるのは当然)
  (4)それにも関わらず、「旧来の技術」だけを用いて「新しい授業をやれ」と言われても
    実現することはなかなかできない。
    (駅伝コーチの発言に私はそれと同じことを感じた。
     「肩の力を抜け。前傾姿勢を正せ。膝を大きく前に出せ」などのような
     技術的なアドバイスが必要だと思う。
     そうでないなら選手は漠然と「がんばる」だけになってしまう)
5 従って必要な解決策には以下の要素が必要になってくる。
  (1)理念浸透を徹底する。「なぜ、今、このような教育・授業が必要なのか」
    を現場の管理職から教諭までに理解してもらう。
   そのためには「学習指導要領」を暗記ではダメ。経済構造の変化や世界の変化、
    ネット社会のしくみなどを解説する必要がある。
  (2)文科省がビラで提唱するような授業を現場の教師に実際に
    「見せる」か「体験してもらう」ことが必要。
  (3)体験と共にそれを支える「仕組み」「しかけ」と「技術」を説明する。
   (技術は「技を見る目がある人にしか見えない」。
    見えない人には「こんな技を使っています」と解説すればわかってもらえる)
  (4)その技術を訓練するメソッドを提示する。どんな練習をすればよいかを明示したり、
    実際に指導者がついて指導する過程をつくる。
  (5)当然そのようなメソッドの確立と指導者育成とが必要になる。

これが退職後の私の活動指針ということにもなります。