グループ分けの仕方の根拠は学校教育?

【授業研究】ピーター・センゲは「学習する組織(小田理一郎他訳/英治出版)」の前書きで「学校教育の問題を解決しなくてはビジネス社会の問題(=大人の問題)を解決できない」と言っています。その理由は、「全ての大人は学校教育を受けてきているからである」と説明しています。
 私はこの発想はすごいと思っています。世界中の大人たちが共通して持っているように見える問題点はなぜかを考えるときに、うっかりすると観念論的な結論を導いてしまいます。例えば「プラトンイデア論の亜流」であったり、生物学的な知見を装って「DNAに組み込まれている」と論じたりすることです。
 センゲはここを、「世界中の大人に共通した体験があるはずだ」と問います。そしてそれは「学校教育だ」と結論付けます。この発想で色々なことを見ていくと気づくことがたくさんあります。昨日もそうでした。
 専門学校の先生たち向けの研修会で「グループ分け」に関する質問が出てきました。今回は「各グループにリーダーやサブリーダーを配置した方が良いと思うが…」という意見でした。ここで私は先日の記事(2/13)とは条件が違うことに気づきました。あのときの参加者はほぼ全員が大学教育学部を卒業した人たちでした。
 しかし、専門学校の先生たちはビジネス社会から教育へと移動した人たちが多く、教育学部出身の人たちはほとんどいません。ということは「教えてもらったグループ分け」ではないのです。では、なぜ? 
  私は「みなさんが、そういうグループ分けの仕方をどこで学んだのですか?本で読みましたか?先輩に教えてもらいましたか?或いは、それを体験する機会がありましたか?」と質問しました。
  何人かの人たちは、「自分が小学生の時にそういうグループ分けをされた体験があるからかも…」と言い出しました。私もなるほどと思いました。センゲの仮説はとても威力があると改めて感じました。