そんなに頑張らなくても‥

【授業研究】オンライン授業のことがあちこちで記事になっています。個人で様々な発信もされています。それらの一部は私が直接も見ることもありますし、知り合いと話している時やオンライン研修会の中で、教えてもらうこともあります。

 その中で気になることについて異見を書いておきます。それはオンライン授業や研修会の時に複数の回線やツールやデバイスを用意すべきだという話です。その理由はこれだけみんながネットを利用することが増えたので、いつでもアクセスできない人が出る可能性がある。それに対応するためだということです。

 それを実際に実現するために、学校の先生がオンライン授業のためにたくさんのPC等の機材を準備したり、生徒とともに予備のツールを共有したり、トラブル対応のためのケータイ等も用意してやっている、やるべきだ‥という記事があります。

 私はそんなことをする必要はないと思います。「全国知事会で非常事態宣言について話し合う」なんてときは、1人の知事が落ちたら大変ですから、専門家たちも含めて様々な安全策をカバーしていると思います。それは必要です。しかし、現在のテーマは「たかが休校中のオンライン授業」です。

 生徒が途中で落ちてしまったら、
「残念だったね。録画はしてあるから見ておいてね」
「説明用pptや練習問題、みんなの話し合いの記録は
 保存してあるから、あとで見ておいてね」
「友だちに聴いておいてね」‥で良いと思います。

 普段の授業でも電車やバスが止まったり遅れたりしたときに、その生徒が時間内に授業を受けられるようにデバイスをつないだり、動画を送信したりしないではないですか。台風や大雨の時は「無理して登校するな」と呼びかけるではないですか。猛暑の夏は「不要不急の外出は避けて」と呼びかけ、学校に来なくても欠席扱いにはしないではないですか。それらと同じです。オンライン授業については出欠扱いをどうするかすら定かではないのですから。

 仕方のない事態が出現した時に何が何でも予定通りに完璧に遂行しなくてはならない、と頑張るのは「事実を受容していない」「現実を受容できない」ことだと思うのです。事実は事実として受け入れて、生徒にも先生たちにも無理をさせない方法で次善の策を立てていく姿勢を生徒・保護者に見せていくことの方が大事だと思います。

 カウンセリングでは「受容」はとても大きな捉え方です。「うんうん」と頷く表面的な技法ではなく、出現してきた事実を事実として受け入れる姿勢のことだと理解しています。コロナウィルスによって出現してきた様々な変化を私たちは「受容」しつつあります。その基本姿勢に基づいて、個々に現象してくる事実も「受容」しながら、生きていきたいものです。

 もっとも恐れるのは、そういう対応ができる人たちが、それができない人たちを責めることです。そして責められるのを恐れて多くの人たちが無理をするか、チャレンジをやめてしまうことです。

 「たかが授業」です。それほど頑張らなくもよいと思います。「されど授業」です。「持続可能で生徒の成長につながる方法で」丁寧な仕事をしたいものです。 

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