いつまでも続く「授業改善」

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【授業研究】「月刊高校教育(学事出版)」に「授業改善のリーダーシップ」を連載しています。昨年(2020年)4月号かの連載は昨日提出した原稿で17回目となりました。毎月、きちんとした原稿を「書く」という作業は自分のアタマを整理するのに、とても役に立ちます。今月号の原稿を書きながらスッキリしたことがあります。

 第16回、17回のテーマは「授業における『セレモニー』について考える」としました。杉江修治氏の著作「協同学習入門(ナカニシヤ出版)」の中に出てくる、「実効性がないにもかかわらず授業の中でやることになっていると関係者が了解している学習ステップ」を『セレモニー』と定義して、これを改めるべきだという主張です。さらに大胆な言い方をすれば「授業とはみんなが学習する場=アタマを働かせる場」であるにも関わらず「みんながあまりアタマを働かせない仕組みや進め方」がたくさんあるということです。その詳細はいずれこのブログでも紹介していこうと思います。

 昨日気が付いたのは、私はこういう視点に立って「アタマを働かせていない構造はないか?」「もっと生徒たちのアタマを働かせる仕組みにするにはどうすればよいか?」と考え続け、試行錯誤を積み重ねているということです。この視点に立つと「終わり」がありません。

 しかし、「アクティブラーニングを実現しよう」ととらえると「アクティブラーニング」を「やった」「やっていない」を調査して達成率を見ることになります。某社の調査結果が「90%以上になった」という記事が「教育新聞」に掲載されたのは2019/2/28のことです。この結果と調査方法に疑問を感じた私はブログでもとりあげました。(*1)

 この時の違和感の正体がようやくわかりました。PDCA的な発想をすると「アクティブラーニング」は達成すべき目標になります。だから「達成できた」のか「達成できていないのか」で評価することになります。達成率が高率なら「達成できた」=「終了」になります。しかし、私は次のように考えます。

 〈授業改善〉は〈アクティブラーニング〉という目標地点を目指す活動ではなく、「『問題は永久的に解決されるわけではなく、単に改善されるだけ』であり、私たちは『ほとんど永久的に学び続けなければならない』(*2)」、つまりいつまでも継続すべき活動である。

 私は「アクティブラーニングの第一人者」など言われて大きな動きに巻き込まれていたものの、ずーっと違和感を持ち続けていました。「基本スキルと基本パターン」の発想を得た時に少しこの違和感がスッキリしました。杉江氏の『セレモニー』を考察してまた少しスッキリしました。いすれ皆さんに、より詳細にお伝えできることになると思います。ご期待ください。

(*1) AL型授業実施率は9割以上?でも講師依頼は増加? - 授業研究AL&AL

(*2)エドガー・H・シャインの言葉。出典「対話型組織開発(シャルヴァース・R・ブッシュ他/英治出版)」p-24

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