グループワークに介入はダメ!?

【授業研究】あるところで面白い話を聞きました。「グループワークの指導の仕方について別の指導者は小林さんと全く逆のことを話していたのですよ」というので「どんな説ですか?」と聞くと、次のような返事でした。

 「グループワークをやらせるときは指導者(授業者)はフロアを動いてはいけない。教室の隅から眺めているだけにするべきだ。先生がウロウロすると生徒たちは先生が近づいてきたから手をあげて発言したりするからだ」というものです。

 実際にその指導者がこう話したかどうかは確かめることができません。私に伝えてくれた人は明確に上記のように理解していました。この意見は論理的に考えるのになかなか面白かったので、「その人が記憶している方法」についていくつか欠点を指摘しておきました。これを少し丁寧に論じておきます。論点は以下です。

(1)この意見が根拠としている事実は自らの指導スキルの低さを前提にしている。
(2)この指導方法を続けると結局「放任」になりかねない。
(3)「放任」の結果、生徒の学びの質が低下するとたぶん注意する。
       それは(1)の指導スキルの問題点を更に拡大し悪循環を招きかねない。
(4)この授業スキルを生徒指導スキルに敷衍すると更に問題が拡大する。
  この視点は新しく大事な視点になりそうです。
以下、順に少しずつ述べていきます。 

(1)この意見が根拠としている事実は自らの指導スキルの低さを前提にしている。
 この論の前提は「先生がワーク中の生徒の席の間をウロウロすると、生徒は先生の顔色を窺うようになる」ということです。その結果、「見せかけの学び方」を繰り返すようになり、主体的な学びは損なわれるということです。

 その前提は多くの場合、正しいと思われます。授業者=先生は「評価者」であるからです。生徒たちは「良い評価を得ようとして授業を受けている」と言っても過言ではない長い歴史があります。これはワークの時だけではなくワンウェイの講義の時にも生じることがあります。先生が「わかる人」と質問すると、わからなくても手を上げる生徒がいるなどの現象の背景がここにあるという声は多々あります。

 そのように生徒たちは先生の評価を気にして「点数稼ぎ」をしようとして授業を受けるようになったから「主体的な学び」は損なわれてしまいました。これを取り戻そうとするのが新学習指導要領の大きな狙い、と言っても過言ではありません。

 こう見てくると「ワーク中に先生が生徒を見て回るのはダメ」という意見は、従来の「評価者としての授業者の在りかたやスキル」をそのままにして、新しい学びを実現しようとしているように見えます。確かに「それはダメ」です。

 そこで消極的な対応として「ダメなことはなるべくやらない」という対策はありそうな気はしますが、根本的な解決にはなりません。なぜならこの先生に「評価されること」を意識する生徒たちは、講義の時も、HRの時も評価を意識して活動するからです。

 つまり「新しい学び」を実現するためには、「新しい指導」をしなくてはならないということです。これは長年の経験を持つ先生たちには少々辛いことかもしれません。しかし、生徒たちに「学びの大転換」を求めるのなら、先生たちも「大転換」が必要です。この意見は旧くてレベルの低い自分のスキルをそのまにして指導するときの、次善の策を提案しているように思われるということです。[この項続く]

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