練習体系がないと大半は失敗する

【授業研究】「Aさんとの対話」「Bさんとの対話」を書き続けながら頭にあるのは「授業スキル体系化」です。これに関する考察を断片的になりますが、しばらく書いていこうと思います。

 当面のテーマは〈「授業スキル体系化」が必要な理由〉です。これは様々な視点から述べる必要があります。当分は「スキルトレーニング・プログラム」作成の必要性の視点から述べることにします。

 私は空手を中心に選手・指導者としてかなり長い間の経験を積み重ねていました。武道の場合、大半は「試合に勝つ」ことを目標にして練習をします。しかし、最初から試合をさせる練習体系(トレーニング・プログラム)を持つ流派は現在ではほとんどないと思います。(昔はあったようですが‥)

 なぜかというと主に2つの理由があります。1つは「目標達成がほとんど不可能」だからです。初心者に試合をさせればほとんどの場合その武道らしい戦い方にはなりません。勝つも負けるも運次第になります。武道の試合で負けるというのは、殴られる・投げられる・斬られるということですから、痛い思いをします。恐怖心が募ります。トラウマになる人もいます。

 ただ、偶然勝つ人もいます。相手が偶々自分より弱かったとか、相手がミスをした場合です。武道の世界ではこれを「嘘勝ち」と言います。「嘘勝ち」でも勝ちは勝ちです。相手を、殴る・投げる・斬るという成功体験をします。次の試合でも「偶々勝つ」人もいます。そうやって偶然の積み重ねで勝ち続けながら、強くなっていく人もある程度の確率では存在しうることになります。恵まれた、体格・体力・闘争心があれば‥ですが。

 そのような偶然を含めたとしても、このようなトレーニング方法では大半が失敗することは理解してもらえると思います。これが、PCゲームなら話は別です。ヒマつぶしにやるゲームなら「必勝法」を学ばなくても始めていくことができます。勝ったり負けたり、点数を上げたり下げたりしながら、だんだんとうまくなっていくものです。これができるのは負けても痛くもかゆくもないからです。経済的にもほとんど影響がないからです。(掛け金が膨大なゲームは別です)

 教科授業はどちらに入るでしょうか?私は武道の戦いほどではないものの、初心者がいきなり「試合」=「生の授業」に臨むのは大変危険だと感じています。高校教員として最後に勤務した越ケ谷高校は毎年20~30人の教育実習生を受け入れていました。いわば「素人がいきなり試合をするような授業」が毎年何十回も行われていたことになります。当然ことですが、「勝つ」=うまい授業を実践できる実習生はほとんどいません。指導担当教員は毎回はらはらして見守ります。時には途中で授業を交代することもあります。

 実習生はそれでも、別に殴られるわけではないですし、お金をとられるわけではないのですが、彼らの落ち込み方は大変激しいものでした。毎年のように授業中に涙ぐむ実習生がいました。放課後、泣いている実習生もいました。実習期間の途中で免許取得を断念する人もいました。大学でもう少し基礎的なトレーニングをさせてきて欲しいと何度も感じたものでした。

 恐らく、偶々教育実習を何とか乗り越えた人が、その後教員になるのでしょうが、なってからも基礎トレーニングなしで試合を続けるようなものです。教員初任者の1年以内の退職率はかなりの高さにあるようですし、その中にはうつ病などを発症する人がいます。最悪の場合は、勤務中に自殺する人もいます。退職後に自殺する人もいます。その全てが、トレーニング・プログラムがないためだと言う気はありませんが、きちんとしたプログラムがあればもう少し状況が変わるとも思います。

 これが練習体系が必要な理由の1つです。もう1つは「スキル伝達」ができないからです。これは次回述べることにします。

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