「伝統的な授業」は悪者?

【授業研究】若い人たち向けの本を書いています。その原稿のある段階で行き詰りました。普通は行き詰っていても、とにかく書いたり消したりし続けるか、散歩するか、一晩寝るか、他の原稿を書いて気分転換するか‥すれば、乗り越えます。ところが、どれをやっても乗り越えなられない‥。自分自身の中には違和感が高まる‥。
 もう一度、その部分の原稿を読み直していて、突然、「あ!」と気づきました。「伝統的な授業」が悪者と感じられるような文章になっていました。その部分は授業の色々な形式を紹介するところです。簡単にさらさらと紹介する予定でしたから、「伝統的な授業」と「新しい授業」というざっくりした分類です。私の表向きの気分としては「伝統的な授業」にも偏見なく、同等に書いているつもりでした。
 しかし、読み直すと、「伝統的な授業はダメで、新しい授業が良い」と受け止められそうな箇所がいくつもありました。これは大変なことです。これを受け止めた若い人たちは、自分たちが受ける授業やセミナーを、形式や道具を見て、「新しい授業だから良い授業。ラッキー!」「伝統的な授業だから悪い授業、アンラッキー!」と受け止めてしまう可能性があります。これでは「主体的な学び」の実現を阻害することになります。
 このまま本を出していたら、大きな悪影響をまき散らす本になっていたかもしれないと思うとぞっとします。締切りを遅らせてもらってでも、書き直さなければならないと思います。自分自身の気持ちを常に振り返りながら、リフレクションをしていく、自分の無自覚な暗黙の前提を掘り下げ明確にして行動修正をする、ということが少しずつできるようになってきたと感じます。その訓練の1つがこのブログを書くことでした。もうすぐ4年間が終わります。ようやく少しできるようになって来たようです。もう少し上のレベルに行くには、あと何年かかかりそうです。