キレる老人は学校教育の成果?

【授業研究】週刊東洋経済2016年3月19日号は「【特集・キレる老人】暴走する老人に大迷惑」です。現在63歳の私はこういうテーマを見ると「俺のことか?」と気になり、ついつい読み込んでしまいます。(笑)
 その中にこんなエピソードがありました。「鉄道の駅で老人が迷惑。切符の自動販売機で操作がわからずに時間がかかる。後ろにはイライラの列。駅員が手伝おうとすると『うるさい!』とはねのける。そのうちに後ろに並んだ客とトラブルになることも‥」というものです。これを読んで、私は、「あれ?これって学校で身に付けたことなのでは?」と気になりました。
 学校の授業中には「しゃべるな、動くな、きれいにノートをとれ」と教わりました。わからないことを隣の友達に質問すると叱られます。「人に頼るな!」「1人でやれ!」。放課後「1人で」残って文化祭の準備などをやっていると褒められたような気がします。これらの訓練?のおかげで、「人に聞く」のは恥ずかしいと感じるようになったような気もします。
 と、振り返ってみると、この老人の行動は「学校ではほめられる行動」なのではないでしょうか?「1人で頑張り続ける」「他人に頼らない」「時間をかけて一つのことをやり続ける」「集中してひとつのことをやり続ける」‥‥。人類の高度な発展のためには学校教育が不可欠であることに異論はありません。しかし、その中で学ぶことの一部は「生きにくさ」を作っているような気がします。このあたりにも「主体的・協働的な学び(いわゆる「アクティブ・ラーニング)」を促進する授業が求められている理由があると思います。