「永遠の0(ゼロ)」が指摘する学校教育の問題点

【授業研究】映画化されて評判になっている標記の原作をようよく読み終わりました。575ページの大作は電車等の移動時間に少しずつ読みながら半月ほどかかりました。いい小説です。その中に、昨日述べた、「学校教育が大人の特性をつくる」という事実を指摘する場面があります。(小説のネタバレにはならないのでご心配なく)
 
零戦乗りの祖父のことを調べていく内に太平洋戦争の歴史にも詳しくなっていく姉と弟の会話です。

「私、気づいたことがあるの」
「なに」
「海軍の将校クラスの弱気なこと」
 (その実例をいくつかの作戦で説明した姉に弟が質問します。)
「なぜ、そんなに弱気な軍人が多いの」と僕は聞いた。
「(中略)海軍の場合そういう長官が多すぎる気がするの。だから、もしかしたら構造的な問題があったと思う」
「どういうこと」
「(中略)彼らはエリート故に弱気だったんじゃないかという気がするの。もしかしたら、彼らの頭には常に出世という考えがあったような気がしてならないの」
「出世だって−戦争しながら?」
(その実例を姉はいくつか説明します。弟が疑問を呈します)
「でも、だからって出世を考えていると言うことはないんじゃないかな」
「(中略)でも十代半ばに海軍兵学校に入り、ものすごい競争を勝ち抜いてきたエリートたちは、狭い海軍の世界の競争の中で生きてきて、体中に出世意欲が染みついていたと考えるのは不自然かな」…(「永遠の0(ゼロ)」百田尚樹著/講談社文庫版p-366,367より引用)

 要するに、海軍兵学校のシステムは徹底した競争社会だったと言うのです。卒業時の序列がその後の序列を決定します。その序列が崩れるのは失敗をしたときです。従って、彼らは、学生時代は少しでも上に行こうと努力し、卒業してからは「失敗という減点をされないように頑張る」のです。つまり「上司の顔色を伺い続ける」のです。そして、国民の利益は「二の次になってしまう」というわけです。ピーター・センゲの指摘通りの実例をここにも見いだすことができるのです。