「自分の高校生活は確かにこうだった」

【授業研究】セミナーのあとのリフレクションカードは私にとっては「宝の山」です。私に次々にリフレクションがおきます。冒頭のコメントは生徒役として高校物理を体験したことについてのコメントです。

「自分の高校生活は確かにこうだった。できる友から教えてもらうことが解決できる最良の方法だった」…要するに、教えたり教えてもらったり、友達同士で集まってワイワイ楽しく勉強したのは、実は「AL型授業」で初めて体験していることではないのです。多くの人たちが子どもころに多かれ少なかれ、体験していることなのです。

それがなぜか廃(すた)れてきました。その原因はさまざまに類推できます。「子どもが部活動や学習塾やゲーム等で忙しくなった」「人間関係形成能力が低くなったので集まることができなくなった」「学校で『勉強は1人でやるもの』と言われるので他人と協同することがいけないと思いこむようになった」「周囲の大人達が遊んでいると誤解して許してもらえなくなった(だから喫茶店やマックでたむろする?)」…

私が物理授業の中でやったことは、「昔の子どもたちが自然にやっていたことを、『人工的に』つくってあげた」という意味もあると思います。これは、人間関係が自然には円滑に進まなくなったので『人工的に』その場を作り始めた、「エンカウンター・グルーブ(構成的も非構成的も)「Tグループ」などの発想と同じことのような気がしています。