「高校生では遅い。もう固まった自分を変えるのは億劫ですもん」

【雑感】教師のLさんの話に出てきた高校生の発言です。Lさん「わたしは生徒が自分から意欲的に学べるようにしたいんだ、そのために授業を改善したりしているんだけど、生徒として、どうしたら意欲的になると思う?」
 これに対して高校生M君の答え。「自分の頭で考え、自分の意見を言える人です!」。更に続けて、「先生、小学生のときから、そうさせていかないといけないですよ。小学生でだいたい人というのは固まります。高校生では遅い。もう固まった自分を変えるのは億劫ですもん」と話したというのです。
 私はここにひっかかりを感じました。「大学生じゃ遅い」「高校生じゃ遅い」「中学でやっておかなくてはダメだ」「小学生で人は決まる」‥この図式の話が多すぎです。この考え方が、「学習者側」にも、「教育する側」にも、「絶望」「あきらめ」「責任転嫁」「努力の軽視」を生み出しているように気がするのです。そして、早期教育の連鎖を生みます。「生まれたからでは遅い」「DNAから選ばなくては」となるのではないでしょうか?
そもそも、生まれてきた環境や家庭のばらつきを乗り越えるために「学校教育」は始まったのではなかったのでしょうか?
 M君が「もう遅い」というのは「経験的事実」ではなく、「大人たちに吹きこまれた知識・観念」です。私たち大人が若い人たちに「希望を持たせず」「努力をさせない」ようにしている気がします。
 私は「いつからでも学び直せる」「人は死ぬまで成長できる」「一緒に学び、成長していこうよ」と全ての人に言いたいのです。