【授業研究】最近、自分が考えていること、目指していることは何なのか‥と考えました。で、思いついたのは「定石」「極意書」などです。囲碁・将棋や剣術の世界には先人が研究してきた様々な名著や名言があります。その内容も「着眼大局、着手小局」のような一般論から、「ツケたらハネよ、ハネたらノビよ」のような具体的な戦い方まで多様です。二天一流の宮本武蔵の五輪書は有名ですが、他の柳生新陰流や北辰一刀流などにもそれぞれいわゆる秘伝書の類がたくさん残っています。
それらに残された記述はいわば教科書になり、練習体系の基礎になり、流派ごとに構えや戦い方は異なるものの、技を伝え技を鍛える時の指針になっていたと思われます。それらが整わなかった世界は、強くなるための方法がわからないので、ひたすら闇雲に練習し、実戦を積み重ねていくことになります。強くなった人もなぜ勝つのかを理解できていないので、後進に強くなり方を手ほどきできません。その結果が、情熱論・根性論になります。
今、日本の教育界が直面していることはこのことなのではないかと感じます。明治以降長きにわたってなんとなく伝わってきた授業スキルは、「アクティブラーニング」「主体的・対話的で深い学びの実現」などの言葉によって否定されているような感じがします。色々な新しい授業が紹介されています。しかし、そこには「こうやればうまくいく」「こうやるから失敗する」という法則性すら見えてきません。
私は物理を学んで学問は体系化するものだと理解し、科学的上達論に基づく空手を学ぶことでここにも理論が有効であることを実感しました。カウンセリングも心理学の理論を応用したスキルの体系化がほとんど完成しています。それに比べると「授業」にはそれらしきものがないのです。
私が高校物理授業を大転換して成果をあげ始めたのは12年も前ですが、理論的に整理できているとはとても言えないものでした。うまく行っているのは越ヶ谷高校、物理、私の個性、私と生徒たちとの関係性などの「特殊性」の重なり合いの中で起きた「個別」の事象だととらえていました。授業実践は、それでよいと思っていました。
しかし、講師を務めたり、本を書いたりしているうちに、そんな個別の経験だけを伝えるのはあまり皆さんのお役に立てないと感じるようになりました。一方で多くの授業者の皆さんの授業を見せていただき、質問に答えたり、議論をし行くうちに少しずつ法則らしきことが見えてきました。教科や校種を超えて共通するスキルや成功失敗事例が把握出来てきたということです。
これらをもう少しきれいに整理できないものかとモヤモヤし続けていました。そこで気が付いたのが「定石」です。授業の定石のようなものが表現できたら少しわかりやすくなりそうです。いずれは、体系化できると良いのでしょうが、それは私の次の世代の人たちに任せることになるのかもしれません。私がやるべきことのイメージが少し明確になってきたことが気持ちが明るくなってきました。
今考えていることを、4月以降に多くの人たちに協力してもらって、これらを試していこうとしています。どんな結果になるのか楽しみです。
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