体験と小説のシンクロニシティ―?

【授業研究】スマホが学力を破壊する(川島隆太著/集英社新書)」のショックで以下のことを始めました。

1 スマホはできるだけ使わない。

        移動時・乗換時の予定確認、打合せ時のスケジュール確認、電話程度。

2 電車等に乗ったらスマホではなく小説か新聞を読む。

  そのために文庫本2冊を常に持ち歩く。

3 原稿用紙に弁証法のテキストを書き写すトレーニングを開始した。

  原稿用紙&万年筆、四十数年ぶりのトレーニング。

4 ブログの原稿、研修会講師の構想、単行本の原稿などを

  原稿用紙にレジュメを書いてからPCで打ち始める。

  打合せ記録等をノートに取る。

 これらを始めて約1週間。昨日の記事に書いた研修会の構想はPCで打ち始めた時には考えがまとまらなかったのに、原稿用紙に3枚くらい書くうちに頭の中が整理されていく気がしたもの。やはり「書く」ことは効果がありそう、と実感。

 移動の電車の中で読むために、これまた何十年ぶりかで再読し始めた「一九八四年(ジョージ・オーウェル著/高橋和久訳/早川epi文庫)」の中に、この私の体験とよく似た話が登場していてびっくり。

  【引用開始】(前掲書p-18)(書くことを禁止されている世界で管理者の目を盗んで日記を書くことを決意した主人公ウィンストンが日記を書き始めた時のこと)「‥ウィンストンは手が痙攣したせいもあって書くのを止(や)めた。どうしてこんなつまらぬことを垂れ流す気になったのか自分でも分からなかった。しかし、奇妙なことに、そうやって書き連ねているうちに、映画とは全く別の記憶が、ほとんど書き留めることができそうなほど鮮明に浮かび上がってきた。それでようやく気づいたのだが、今日から自宅に戻って日記を始めようと突然心に決めたのは、この別の出来事のためだったのではなかったのか‥」【引用終了】

 最初はぼんやりしていたアタマが、「書き連ねているうちに‥」はっきりしてくる、という描写が実に具体的です。私の体感と全く同じ。経験した人でないと書けない表現だという気がします。

f:id:a2011:20190220214500p:plain