教師のスキルの問題点

【授業研究】色々な学校で指導していて、「授業の構造を変える」「資料作成方法を帰る」ことの必要性を力説していますが、それらは「1人でできること」です。しかし、「生徒たちにわかりやすい指示・説明をする」「対話を促進する働きかけ方をする」などは対人関係のスキル、グループワークのスキルです。これはなかなか難しいことです。これらをどう整理して、どんなトレーニング・メソッドにしていくかはなかなか難しいハードルです。

 この種の問題を考えていくうちに、もう一つの課題が気になり始めました。これらのスキルを仕事中のどの場面で使うか、です。営業の人は「お客様」と会っている時に営業スキルを使います。しかし、「お客様」と会っていないときは「素の自分」に戻って仕事ができる気がします。窓口営業の人は窓口に出ている時は「お客様」に笑顔で接し、クレームには頭を下げます。要するにある程度の「オフ」の時間があるような気がします。

 これに比べると教師の仕事は少なくとも学校にいる時には「オフ」がつくりにくい気がします。小学校の先生は1時間目から6時間目まで担任しているクラスの教室にいます。給食の時間も子どもたちと一緒です。中学・高校の先生たちはそれほどではないにせよ、休み時間や放課後も生徒や保護者と関わることが多くあります。夜や土日に生徒や保護者からの電話に対応することもあります。こうなると「教師として自分」と「オフの自分(素の自分)」の使い分けが難しくなります。

 この状態への対応のひとつが「いつでも素の自分で対応する」ことなのではないかと思い始めました。ビジネス社会にいる人が「ビジネスパーソンとしての自分」と「オフの自分」をきっぱりと使い分けているのは「お見事」と感じることが多々あります。教師はこれが難しいから、「オン」の時も「オフの自分(素の自分)」で対応するという方法があるような気がしてきました。一種の自己防衛です。

 しかし、それをやると「プロの教師」にはなりにくくなります。何年たっても「プロ」と言えるスキルを身に付けることができない気がします。教員経験10~20年あたりで授業スキルが伸び悩むように見えるのもそのせいかもしれません。

 この「オンとオフの境目のなさ」は別の問題も引き起こします。「オン」の時も「オフの自分(素の自分)」て活動しているつもりでも、子どもや保護者からは「先生」と言われるし、その立場に応じて接してくれます。これにいつの間にかなじみます。「オフの自分(素の自分)」のつもりの部分が、いつの間にか「先生らしい雰囲気」になってきます。区別しないでいるので、自分自身にこの変化が起きていることにも気づきにくいことになります。その結果が、学校の外に出かけると「いかにも先生らしいですね」「なんか先生的な態度ですね」と言われることになります。時には「先生風を吹かせる嫌な奴」と嫌われることにもなります。

 私はこの問題は「意識して身に付けるスキル」と「無意識に身に付いてしまう癖」との違いだと理解しています。更に言えば「意識して身に付けたスキル」が「オフの生活」にも活かせるようになればもっと良いのだと思います。そんなことを考え始めています。

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