休憩・回復・構想

【授業研究】土曜日に沖縄から戻りました。飛行が少し遅れて18時ごろに羽田に到着。沖縄では18時はまだ明るかったのに、東京は「もう暗い」のにびっくり。気温差も15度くらいありましたし‥。日曜日は遅く起きて、友人と長電話。最近考えていることを語るうちに少しまとまりが出てきました。

 明治時代から戦後しばらくまでは「授業者のスキル」と「教員組織の在り方」はあまり矛盾することなく成立していたのだと思います。当然それは「社会に開かれた教育課程」でした。つまり「学校でよりよく適用すること」は「社会でよりよく生きる」ことと一致していたということです。「カリキュラムマネジメント」も同様です。「工業化社会に向かう優秀な工場労働者育成」というヒドゥンカリキュラムは学校の形式のあらゆるところに浸透し、教師の指導方法も一貫していたと言えそうです。

 教員育成もたぶん簡単でした。「良い生徒・学生だった」人をそのまま教壇に立たせれば、「尊敬する恩師の授業」をそのままやってくれるからです。「教員組織のあり方」もその延長線上にありましたから、「先輩や上司の仕事ぶり」をそのままコピーしていけば「良い教師」「良い管理職」としての道を迷うことなく進めたのだと思います。

 この図式が崩れてきたので、「社会に開かれた教育課程」を作り直さなくてはならなくなりました。すると「教員の指導スキル」も変更する必要が出てきました。ここに「学校組織開発」との矛盾が起きてきました。まだきちんと読み込んでいませんが、

「技術の変更は既存の社会システムを激しく混乱させるため、やみくもに技術的解決法の変更のみを推し進めてはならない(「対話型組織開発」p-24)」の文章が気になります。

 私は「授業者の指導スキル」変更を推し進めるべきだと思っていますが、これが突出していくと組織運営が混乱する可能性があります。となれば、「授業者の指導スキル」の体系化・指導方法の確立などと「組織開発」は、単純に「両輪」という理解では危ないということです。もう少し丁寧な戦略を立てる必要がありそうです。

 のんびりできると、アタマが働く気がします。今週は2日間の研修会講師があり、仕事納めです。「入門3」の原稿もあるし、じっくり考える年末年始にしたいものです。

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