山田さんの死去を伏せる

【山田さんの思い出⑧】山田さんの死去を知ったのは11/20(火)の朝5時、鳥取市内のホテルででした。当日は市内の中学校の公開授業の見学をして講演をすることになっていました。夜も懇親会の予定でした。翌21(水)は京都府の中学校、更に22(木)は大阪の中学校。いずれも朝から夜までの盛りだくさんの計画になっていました。

 涙が流れて止まりません。このままでは人前で泣き出してしまいます。それでは責任を果たせません。それくらいなら、キャンセルした方がいいと思いました。今まで天候・災害などで不着によるセミナー等のキャンセルを一度もしたことがない私です。山田さんともそのことを良く「不思議だよね~」「悪運強いよね」「みんなが待っているからですよ」などと話し合っていました。でも「これは無理」。

  電話をするには早すぎる時間なので、キャンセル依頼のメールを書こうとメーラーを開きました。その時、突然、山田さんの顔が浮かび声が聞こえた気がしました。「私が調整した研修会なんですけど‥」と言ったような気がしました。ドキリとしました。「キャンセルはするなってこと?」‥‥「山田さん、何を言いたいの?」‥そのうちに気づきました。これは山田さんがしてくれた仕事です。それをキャンセルしたら山田さんは悲しむだろうな‥と気が付きました。そうか、山田さんのためにはキャンセルするのではなく、きちんとやり遂げなくてはいけない仕事なんだろうなと考えが変わっていきました。1~2時間すると気持ちもだいぶ落ち着いてきました。

 いつもなら早朝にブログの更新をします。普通、前日のことをアップしていますから、この日の朝のブログでは山田さんのことを書かないことにしました。中学校の先生たちにも話せば色々なお気遣いをさせることになりそうです。第一、そこでみなさんからお悔やみでも言われたら私が泣き出しそうです。

 そこで、この3日間の研修会講師が終わるまでは山田さんの死去については伏せることにしました。口頭でも言わないし、ブログでも触れない。そうやって何事もなかったかのように講師を務める。それが山田さんの遺志に応えることになると思いました。

 それぞれの学校の先生たちの中には山田さんとメールや電話のやりとりをしている方がいます。具合が悪いこともご存じですから「山田さんの具合はどうですか?」と聞いてくれました。「はい、あんまり良くないんです」と嘘を言いづけた3日間でした。その嘘を言いづけた皆さんにはお詫び申し上げます。お許しください。

 22(木)夜。研修会が終わったところでブログに短く「訃報」を出しました。23(金・祝)朝に大阪から東京に戻り、告別式会場に急ぎました。[この項続く]