「生徒は内容について先生に質問しても良いのですか?」

【授業研究】研修会でいただいた質問に対する回答です。
〈質問〉「AL型授業において,授業内容を教師に質問することはありですか?」
〈回答〉「主体的・対話的で深い学びの実現」の視点からすれば、生徒たちが「自分の生き方とこの科目の学びをきちんととらえて、主体的・対話的に学び、その過程で自己や自己の学びを振り返りながら深い学びを実現していく」のが理想なのだと思います。はっきり言って、そのレベルの学びは大人ですら難しいことです。私自身、自らの学びに毎日のように彷徨っています。
 つまり、理想は「主体的・対話的で深い学び」を生徒たちができるように支援することが私たち授業者の役割ですが、そこは生徒の発達段階に応じた支援(介入)が必要だと思っています。私は「武道論における技の上達理論」や「メンタリング(ティーチング・コーチング・カウンセリング等の統合理論)」などを参考にしながら、次のような段階的な指導・支援が必要だと考えています。
 まず、第1段階は「教える」です。「教科科目の内容を教える」と「学び方・対話のしかたなども教える」から始めることになると思います。第2段階は「内容を教える」を少しずつ減らします。これは「対話的な学び」としても友達との相互支援が少しずつうまくなっていくことが必要です。また、辞書やインターネットなど道具を主体的に活用できるようになっている必要もあります。この段階では「学習過程」への介入は頻繁に行います。私の場合で言えば、「しゃべる、質問する、‥‥チームで協力する、‥」等の態度目標を設定して、「チームで協力できていますか?」などと質問で介入することでした。
第3段階は、「内容への介入も学習過程への介入もしない」です。しかし、「観察」はします。気になる現象にはやんわりと質問で介入します。「うまく行っていますか?」「何かお手伝いしましょうか?」と程度です。それから、リフレクションカードは丁寧に見ます。ここを「見守る」と称する方がいますが、私の感覚とは異なります。
第4段階は、私の手を離れます。生徒たちが「主体的・対話的で深い学び」を始めます。私の場合で言えば、毎日放課後、物理室に集まってワイワイ学び続けていた生徒たちです。更には、大学に進学して「大学の授業はつまんない」と愚痴りつつも、「友だちを集めて、空き教室で、高校の時と同じようにワイワイと学んでいます」と言う段階です。
 注意しなくてはならないことがあります。上記の4段階は、「個人の発達過程」と「集団の発達過程」の両面で起きます。更に、「授業中は物理室で私が出した課題に依存する段階での主体的な学習」をしながらも、「放課後は物理室で、自らの方略に基づき、主体的で対話的な学びを行う」という並行した発達段階を行き来する構造があります。また、個人の発達段階も複雑にからみます。どの段階においても個々人の発達段階は異なります。学び方においても学習内容においても常に多様性は存在します。というより、その多様性こそが個人と集団を発達させる原動力です。これを活用できるかどうかが大きな分かれ道だと思います。
 もう一つの軸は「生徒の特殊性、個性、その時の状態」です。ハンディキャップの有無、精神疾患の有無、発達段階の程度、その日の精神状態などに応じて、個々に対応する必要があります。
 前置きが長くなりました。このような考え方を基盤にすると「生徒は内容を質問してよいか?」への答えは、集団の状況と個人の状態などを考えて可否が決まるということになります。理論的には細分化した説明をすることになりましたが、実践的には「とにかくやってみること」が大事だと思っています。そして、その結果、その生徒やチームやクラスに何が起きたかを観察することです。生徒の認識を把握するためにはリフレクションカードが最適です。
【私が書いているのは全て私の実践を見たり聞いたりした方からの質問に対する回答です。私の授業実践が「唯一の正解」というわけではありません。私の授業が成功していた背景には、科目特性、生徒・学校の特性、小林の得意(生徒指導、カウンセリング、教育相談等)、などがあります。ただ、一般論だけを論じても伝わりにくいので私が何をしているのか、私が何を考えているのかを具体的に書いています。この通りにやるべきだといいたいのではなく、この実践を「ヒント」にして、みんなさんの実践を変えるきっかけになったり、議論を始めるきっかけになったりすることを期待しています。】