「考えるタイプの学生が少ない」のは間違い?

【授業研究】昨日の「学びのピア・サポートを行う学生ボランティアShares」のメンバーと一緒に「Café Philo(カフェフィロ)」の名前を決めるときのやりとりで、「おや?」と思ったことがありました。
「私たちは確かにあんまり深く考えないかもしれないね」
「でもさ、一見、全然考えそうにない人がすごい深いことを話すことあるよね」
「たしかに。なんかみんなでじっくり話しているときに言われてびっくりすることあるね」
「そうそう」
「あれって、考えないタイプに見えていたけど、そういう場がなかったってことかな?」
「あ、そうかも。じっくり考える場があると考えるんじゃない?誰でも」
 このやりとりに私はどきりとしました。今まで私は「深く考えるタイプ」「深く考えないタイプ」の学生がいるととらえていました。しかし、それは違うかもしれません。深く考える場があれば、深く考える方法(スキル)を身につければ、誰でも深く考えることができるようになるものかもしれません。
 高校物理授業をAL型授業に切り替えて実践し続けていくときは、物理選択者だけを相手にしていましたから、このことをあまり深く考えたことがありませんでした。本学は経営学部だけ。理系嫌い、理系苦手の学生がたくさんいます。この学生たちを相手に始める「Café Philo(カフェフィロ)」は私にとっても大きな学びになりそうな気がしてきました。