アクティブラーニングと「教師の立場の変更」

河合塾FDセミナーメモ4】
 昨日のメモの内容から気づくことが2つあります。1つは「大学教育の中心は剥落することのない『思考の方法』を身につけさせること」ということです。この単純で大事なことが教育する側にも教育を受ける側にも抜け落ちている気がします。
  私自身について振り返ると、確かに、大学時代に「剥落することのない『思考の方法』が身に付いた」と感じています。私は物理学と空手に夢中でしたが、どちらも「自然科学の思考法」と「唯物弁証法」を基盤としていました。一見かけ離れた分野ですが、それだけに、1つの思考方法を訓練するのには好都合でした。その考え方は未だに変わることがありません。そのことがよかったと思っています。
  もう1つは、「アクティブラーニング」のを構造化を知ることで、自分の実践を意味づけることができたことです。構造化の中身は、「高次のアクティブラーニング」=「課題解決を目的としたアクティブラーニング」と「一般的なアクティブラーニング」=「専門知識の定着を目的としたアクティブラーニング」に分けたことです。 
  この視点で見直すと、私が高校物理でやっていたことの大半は「一般的なアクティブラーニング」だったと理解できます。そこにはどうしても「知識伝達」の部分が不可欠です。通常はこの「知識伝達」の時間がネックになります。「反転授業」ではこれを「授業時間の外」に出すことで解決しようとしています。私の場合は機械的環境と、これ以上生徒に宿題を出せないという状況があったので、授業中に「短時間」で「知識伝達」を達成して、「知識定着」のための時間を捻出したということになります。
  その「知識定着」のための時間の構造化には試行錯誤しました。更に、「しくみstructure」「しかけdevice」「教え方how to」以上に「支え方 how to facilitation 」が生徒の学びを左右することに気づきました。このことは、「反転授業」の理論の中で明確に取り上げられています。つまり、「壇上の賢人 sage on the stage」から「学習者に寄り添う導き手 guide on the side」への変更です。

最近の、「反転授業」に関する報道の中に、「教室の外」で何をやるか(やらせるか)は詳しく報道されますが、「教室の中」で先生達が、「どう指導するのか」はほとんど論じられていません。私には気になるところです。(この項終了)