授業者スキルは学べない?

【授業研究】教科授業を進めるうえでのスキルを「授業者スキル」、担任・生徒指導・進路指導・部活動顧問・保護者対応・校内での組織的な活動などを含めてスキルを「教師スキル」と使い分けています。当分は「授業者スキル」を研究します。とは言え、「教師スキル」との整合性は意識していかなくてはならないと思っています。

 そんなことを考えているので、学校現場に出かけて現場の先生たちと話しているとこのあたりのことにしばしば言及することになります。すると私の予想以上に皆さんが「それは必要だ」「ぜひ教えて欲しい」「早くまとめてください」と反応してくださいます。そんな話の中で出てくる話題です。

・授業の仕方は学生時代に教わったことがない。

・大学授業で模擬授業はやったけれども実際とは程遠いものだった。

・模擬授業等でも大学の先生から具体的なアドバイスをもらった記憶がない。

・教育実習では指導案の書き方ばかりを学んだような気がする。

・教育実習では叱られ続けた記憶しかない。

・採用されてからも授業の手ほどきを受けたことがない。

・1日自分の担当する教室にいるので

  他の先生がどんな授業をしているか見たことがない。(小学校教諭)

・他の先生の授業を見るのは「研究授業」だけ。(小学校教諭)

・他の人の授業を見学してもどこを学ぶべきかわからない。

・授業中の自分の癖などについて指摘してもらったことがないので不安。

・昔は「生徒を黙らせろ。動かすな」と言われてそうしていた。

 今は急に「話し合いさせろ。動かせ」と言われて戸惑っている。

・偶々、すごい先生が同じ学年にいたので、その先生に付きまとって学んだ。

 これはラッキーだった。でも、一般的にはありえないと思う。

・研究授業の担当になって一番時間をかけたのは指導案作成。

 これが授業者スキルを上げることになるとは思えなかった。

 ‥こんな話を聞き続けていると、私は現場の先生たちはどうやって自分の腕を上げているのか不思議になります。逆に言えば、「こんな過酷な条件の中で、みなさんは良くやっているなあ~」と感じます。そんな先生たちのお役に立てるようにしたいものです。

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スーパーバイザーの役割

【授業研究】逗子市教育委員会のスーパーバイザーを務めて2年目になります。「何をやるのか」が明確には定義されていない役職です。そのポジションでの「私の強み」を活かした役割が見えてきました。

 まずは何が難しいか‥について説明しておきます。逗子市には市立高校はありません。従って、5つの小学校と3つの中学校が指導対象になります。それぞれの学校はこれまで独自に授業改善研究を行ってきていますから、これはこれで継続してもらっています。つまり、それぞれの学校で研究対象とする教科を設定し、その教科の指導者を大学教授や市教委の学校指導員などの立場にある人たちに依頼しています。これまではそれだけの構造で進んできていたところに、新たに「スーパーバイザー」が設置されたということです。

 現場の先生たちも混乱したようです。私もこの構造が明確に理解できたところで焦りました。それは指導の二重構造です。各学校の「教科指導の指導者」がいて指導しているのに、更にスーパーバイザーが入るのですから、最悪の場合、この両者の意見が食い違うことがあり得ます。これでは現場が混乱します。だからと言って、実質上何も言わないというのは私の性格が邪魔をします。

 しばしば見聞きしますが、公開授業などの場で「指導助言」の立場つく人が以下のようなご挨拶をされます。

「いやあ、素晴らしい授業でした。この準備に関わった、校長先生・学年や学年外の先生‥‥おつかれさまでした‥素晴らしい授業でした‥私は何も申し上げる立場ではないのですが‥子どもたちが生き生きとしていました‥普段の皆様のご指導の賜物です‥お疲れさまでした‥」

 これは私にはできないということです。

 で、わかったことです。先日来書いている「授業者スキルの体系化」や「トレーニング・メソッドの開発」が役に立ちます。学校の研究教科が数学(算数)、国語、体育、道徳‥などの多岐にわたっていても、私は先生たちがそれらの授業研究をしながら「授業者としてのスキル向上」の視点からアドバイスをすることが有効だということです。

 このことが各学校のコア委員会の立場にいる人たちにも徐々に理解してもらえて来ました。学校がどの教科を研究対象にしても、その研究活動を通して授業者としての腕を上げることができ、他の教科の指導力や、自分の教科の指導力を向上させていけばよいのです。

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4/20(土)セミナーのご案内

【授業研究】4/20(土)東京恵比寿 15:00~19:00 みくに出版社主催で行われる研修会のご案内です。皆さんと、語り合う時間を楽しみにしています。

テーマ:いま求められる教師・授業者の基本はなに?

             ~大変動する社会・教育界の中でどう生きていくか?~

詳細(みくに出版社長=安さんのご紹介文です)

 4月20日(土)に、小林昭文先生と田口浩明先生によるこれまでにない新しいテーマのセミナーを開催します。

 テーマはずばり「いま求められる教師・授業者の基本はなに?  ~大変動する社会・教育界の中でどう生きていくか?~」です。
 このセミナーの企画を固めていくミーティングで、年間100回前後も研修会講師をつとめる小林先生から、20歳代から40歳前後までの比較的若い先生たちの迷いや不安が大きいことを強く感じるというコメントがありました。その世代に重なる田口先生からもそれを裏付けるようないろいろな事例が紹介されました。
 「主体的・対話的で深い学びの実現」というテーマのもとに「新しい授業」を実施することが求められてはいるものの、先輩たちが教えてくれるわけではないという矛盾、先輩たちと同じ生き方ができそうにない不透明な未来、そうしたいろいろな事情が若い先生の迷いや不安に拍車をかけているようです。
  そんな若い先生方の役に立つような場をつくりたいと思い、今回のセミナーを企画します。

《お申し込みは、こくちーずプロからお願いします。》
https://www.kokuchpro.com/event/ALK20190420/

セミナーの内容と進め方】
「いま求められる教師・授業者の基本はなに」というテーマをとらえるときに重要な次のような項目を取り上げます。
・理念・意識を高める
・教員のキャリア形成
・意欲的に仕事に取り組めるマインド
・古典的教員モデルからの脱却?
そして、次の3点を中心にセミナーを進めていきます。
1.参加者同士の現状や問題点、成功体験を共有する。安全安心の場をつくり、気づきが深まるようにします。
2.問題解決に役立つメンバー相互の対話を促進し、さらに講師から情報提供をします。
3.セミナーの後に「自己を鍛える現場」に戻る勇気が持てるようにします。

小林昭文先生は、物理学→空手→カウンセリング→高校物理授業改善、高校を定年退職後は大学教授や研修会講師、と学んできました。
田口浩明先生は、タップダンサーを続けながら、市役所職員→大学院→私立・都立高校教員として社会科授業改善→私立高校講師・大学客員研究員・研修会講師・主夫など、と学んできました。このユニークなキャリア形成をしているお二人だからこそお話しできること、お伝えしたいことが多々あります。
ユニークなセミナーになります。ご期待ください。

セミナーの主な対象
主に20歳代~40歳前後の若い先生を対象にセミナーをデザインしています。セミナーの内容もそれにそったものとなります。
※もちろんお仕事の内容や年齢、常勤or非常勤or充電中など問わずどなたでも参加できます。
※キャンセル待ちが出た場合は、若い方を優先させていただきますのでご了承ください。

■講師のご紹介
小林昭文先生
2013年3月末まで埼玉県立越ケ谷高等学校にて物理のアクティブラーニング型授業を実践。2014年より産業能率大学経営学部教授。現在は多くの高校、教育委員会に講師として招かれ、教科科目でのアクティブラーニングの必要性やノウハウについて指導している。著書、「すぐ使える!ワークシートでコミュニケーション教育」(ほんの森出版)、「アクティブラーニング入門」(産業能率大学出版部)、「7つの習慣×アクティブラーニング」(産業能率大学出版部)、「アクティブラーニングを支えるカウンセリング24の基本スキル」(ほんの森出版)など多数。

田口浩明先生
大学卒業後、埼玉県草加市役所に入職。教育委員会などで地域の問題に向き合う。退職し大学院に進み教職の道へ(公民科)。都立両国高等学校・両国高等学校附属中学校、都立足立高等学校定時制課程などで社会科の、生徒同士が自己肯定感を高め合う授業を実践。第20回東京新聞教育賞を「夜に笑顔咲く生徒同士が自己肯定感を高め合う授業」で受賞。現在は私立高校の講師を務めながら、草加市町会連合会における講演など「地域と生徒をむすぶ」活動も多数行っている。

《お申し込みは、こくちーずプロからお願いします。》
https://www.kokuchpro.com/event/ALK20190420/

■開催日時と参加費、定員
【開催日時】2019年4月20日(土)15:00~19:00
【開催場所】みくに出版セミナールーム(東京都渋谷区恵比寿西)
【定 員】36名 
【参 加 費】4,000円(税込)
【主 催】みくに出版

 

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練習体系がないとスキル伝達ができない

【授業研究】しばしば言われることですが、時々名人芸と呼ばれる授業をする授業者がいます。過去にも色々な伝説を残した授業者がいます。しかし、その後継者がいないような気がします。そもそも、何がどんな風にすごかったのかが良くわからないように思われます。

 武道の世界は少し違います。宮本武蔵は間違いなく名人・達人だったと思われています。その立ち合いを見た人が現存するわけでもなく、動画記録があるわけでもないのに、その強さは信じられています。北辰一刀流千葉周作柳生新陰流柳生宗矩一刀流塚原卜伝など実に多士済々の名人がいたことが間違いないと信じられています。

 その理由は彼らが自分の闘い方、技の習得・練磨の過程、初心者からの修行方法などを書き残しているからです。剣道だけではなく柔道も同様です。その世界が残した技(スキル)のレベルに比べると、学校教育の授業スキルのレベルはとても低いと言わざるを得ません。その理由は社会学的な背景にあるのですが、それはいずれ。

 武道の世界は名人・達人たちが、自分の闘い方を後進が実現できるように技の体系化を図り、文章化し、修行方法とともに代々伝達できる構造を作ってきたので、そのスキルを現在もある程度は伝えているのです。前節(2019/4/8)では「技の体系化・練習体系」がなければ大半の人たちは強くなる(うまくなる)ことに失敗すると書きましたが、もう一つの大事な側面は「伝達できない」ことなのです。

 実際、授業スキルは未だに経験主義的です。多くの人たが「自分勝手に」「見よう見まねで」やっているだけです。偶々、授業名人がいても、その技の体系化がなく、練習体系もなければ、その人限りで消滅してしまいます。うまい人の授業を見て、どこをどう受け継げばよいのか、そのためにはどんなトレーニングをすればよいのか、がわからないのです。

 私は武道家としての経験から授業改善を見ていると「技・スキル」が全く論じられないのが不思議で仕方がありません。そのくせ、ICT機器などの機会の導入は声高に叫ばれています。まるで「刀の振り方も知らない人」に名刀を高く売りつける悪徳商人が横行しているように見えてしまいます。

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練習体系がないと大半は失敗する

【授業研究】「Aさんとの対話」「Bさんとの対話」を書き続けながら頭にあるのは「授業スキル体系化」です。これに関する考察を断片的になりますが、しばらく書いていこうと思います。

 当面のテーマは〈「授業スキル体系化」が必要な理由〉です。これは様々な視点から述べる必要があります。当分は「スキルトレーニング・プログラム」作成の必要性の視点から述べることにします。

 私は空手を中心に選手・指導者としてかなり長い間の経験を積み重ねていました。武道の場合、大半は「試合に勝つ」ことを目標にして練習をします。しかし、最初から試合をさせる練習体系(トレーニング・プログラム)を持つ流派は現在ではほとんどないと思います。(昔はあったようですが‥)

 なぜかというと主に2つの理由があります。1つは「目標達成がほとんど不可能」だからです。初心者に試合をさせればほとんどの場合その武道らしい戦い方にはなりません。勝つも負けるも運次第になります。武道の試合で負けるというのは、殴られる・投げられる・斬られるということですから、痛い思いをします。恐怖心が募ります。トラウマになる人もいます。

 ただ、偶然勝つ人もいます。相手が偶々自分より弱かったとか、相手がミスをした場合です。武道の世界ではこれを「嘘勝ち」と言います。「嘘勝ち」でも勝ちは勝ちです。相手を、殴る・投げる・斬るという成功体験をします。次の試合でも「偶々勝つ」人もいます。そうやって偶然の積み重ねで勝ち続けながら、強くなっていく人もある程度の確率では存在しうることになります。恵まれた、体格・体力・闘争心があれば‥ですが。

 そのような偶然を含めたとしても、このようなトレーニング方法では大半が失敗することは理解してもらえると思います。これが、PCゲームなら話は別です。ヒマつぶしにやるゲームなら「必勝法」を学ばなくても始めていくことができます。勝ったり負けたり、点数を上げたり下げたりしながら、だんだんとうまくなっていくものです。これができるのは負けても痛くもかゆくもないからです。経済的にもほとんど影響がないからです。(掛け金が膨大なゲームは別です)

 教科授業はどちらに入るでしょうか?私は武道の戦いほどではないものの、初心者がいきなり「試合」=「生の授業」に臨むのは大変危険だと感じています。高校教員として最後に勤務した越ケ谷高校は毎年20~30人の教育実習生を受け入れていました。いわば「素人がいきなり試合をするような授業」が毎年何十回も行われていたことになります。当然ことですが、「勝つ」=うまい授業を実践できる実習生はほとんどいません。指導担当教員は毎回はらはらして見守ります。時には途中で授業を交代することもあります。

 実習生はそれでも、別に殴られるわけではないですし、お金をとられるわけではないのですが、彼らの落ち込み方は大変激しいものでした。毎年のように授業中に涙ぐむ実習生がいました。放課後、泣いている実習生もいました。実習期間の途中で免許取得を断念する人もいました。大学でもう少し基礎的なトレーニングをさせてきて欲しいと何度も感じたものでした。

 恐らく、偶々教育実習を何とか乗り越えた人が、その後教員になるのでしょうが、なってからも基礎トレーニングなしで試合を続けるようなものです。教員初任者の1年以内の退職率はかなりの高さにあるようですし、その中にはうつ病などを発症する人がいます。最悪の場合は、勤務中に自殺する人もいます。退職後に自殺する人もいます。その全てが、トレーニング・プログラムがないためだと言う気はありませんが、きちんとしたプログラムがあればもう少し状況が変わるとも思います。

 これが練習体系が必要な理由の1つです。もう1つは「スキル伝達」ができないからです。これは次回述べることにします。

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Bさんとの対話5

【授業研究】Bさんとの対話で気が付いたことを続けて書いてきました。今日でひと区切りです。

〈5   まずは授業者スキルの体系化を‥〉

 これまでに分かってきたことを整理します。

➀「主体的・対話的で深い学びの実現」、

  更に、成績向上・学習意欲向上などを達成するには、

  生徒たちに「安全安心の場」をつくることが不可欠である。

➁生徒たちの「安全安心」は授業者の心理とその現れ(態度)によって、

  大きく左右されてしまう。

➂従って授業の質的向上を目指すには授業者の態度を変える必要がある。

  この態度は技術(スキル)として捉えると、

  「誰でも・意識的な繰り返し」によって作り変えることが容易になる。

④Bさんは「授業者としてのスキルトレーニング」を、

  授業外における生徒との関わり方を通して行って成果を上げることができた。

 

 ここに挙げたことはこれまでの教科科目の授業の質を上げるための授業者に必要な「資質・能力」や「研修の方向性」とは大きく異なります。そもそも、教師(教員)の在り方と授業者の在り方はあまり区別されていなかった気がします。そこでここでは「教師の在り方」としてまとめます。

 これまでの「教師の在り方」は人格や人間性が強くとらえられていた気がします。そして、授業に関しては教材を作りこむことが過大に取り上げられていた気がします。この場合の教材は「指導案、板書計画、実験道具等の設備、プリント、ICT機器、教室や座席の配置など」を含みます。極端なことを言えば「良い教材をつくれば、誰でも良い授業ができる」という感じがします。

 私は経験的にそうは思いません。教材はすでにほとんど出来上がっています。学習指導要領、その解説等、検定教科書、教科書会社が作成した指導資料や副教材、市販されている参考書や問題集‥どれも多くの優秀な専門家の皆さんが時間とお金を投じて懸命に作り上げた成果です。

 私たち現場の教員は教科書・問題集などの教材作成の専門家ではありません。そのための訓練を受けることも滅多にありません。それならば「下手な教材作成を徹夜同然に積み重ねて、へとへとになった授業に臨む」より、「すでにある教材を使って、対面型の授業において生徒たちの安全安心の場をつくりだし、対話や深い学びを促進させて主体的な学びを実現する〈授業者スキル〉」を高める方が良い授業を実現できると考えています。

 ここでいう〈授業者スキル〉は人格・人間性とは一線を画して、もっと具体的な行動を指します。野球で言えば、素振り→ティーバッティング→ピッチングマシーンを使う練習などを経て実践に臨むようなスキルトレーニングです。野球などのスポーツや武道などは概ねスキルトレーニングの順序が確定している気がします。基礎基本と応用が区別されているということです。初心者にいきなり試合をやらせないということです。

 しかし、授業者には基礎基本と応用の区別がほとんどありません。教育実習生がいきなり「試合=生徒相手の生の授業」に臨まされて立ち往生することは日常的です。このように乱暴なことが行われ続けているのは社会学的には工業化社会における教師の役割は「なにもなかった」ということによるようです。これを詳述する余裕はありませんが、文科省の「主体的・対話的で深い学びの実現」を本気でとらるのなら、〈授業者スキル〉の基礎基本や応用などのトレーニング・プログラムが必要です。そのためにはまず〈授業者スキルの体系化〉が必要です。体系化なしには「基本と応用の区別すらできないからです。

 更に大きな課題があります。それは〈授業者スキル〉は〈教師スキル〉の特殊性であることです。そして両者は「同一方向に向けて、同一理論に基づいて整理される必要」があります。Bさんが、教科授業ではない場面でトレーニングしていたのは〈教師スキル〉のトレーニングです。このトレーニングの成果が授業中の安全安心の場をつくるという〈授業者スキル〉につながるということがその一例です。

 これらを整理していくことがいわば「授業名人のスキル」を「誰でもトレーニングすることで身に付けることができるスキル」にすることができると思っています。試案はある程度描けています。研究協力をしてくれる方も少しずつ出てきました。興味のある方はお知らせください。[この項終わり]

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Bさんとの対話4

【授業研究】Bさんとの対話で気が付いたこと第4回です。
〈4   相談をしてもらえる先生になるためにはスキルトレーニング?〉
 Bさんはメールに以下のように書きました。

> ‥ようやくですが、生徒さんから何気ない会話や相談事などを
>  話しかけてくれるようになりました。

> 実は、恥ずかしながら今までなかった経験です。

 

 前回は生徒たちから何気ない声をかけてもらったり、深刻な相談をしてもらえる先生は少ないという私の推測を述べました。その理由は教師側が生徒たちに対して、そうなるように接しているからです。元々、性格的に生徒たちに対して対等な人間関係を大事にして接していく先生たちもいます。しかし、そうではない先生たちにとっては、それを改善するのはなかなか難しい気がします。

 では、それを改善するにはどうすればよいか。すでにBさんはそれを改善したと書いています。


> 現場に出て一年が経ちましたが、ようやく教師の「鎧」が外れてきた
> と思います。
> 以前の自分に戻らないように、口調、声のかけ方、態度など
> を小林さんの本

> 「アクティブラーニングを支えるカウンセリング24の基本スキル」
> をもとに、気を付けるようにしていました。
> すると、ようやくですが、生徒さんから何気ない会話や相談事などを
> 話しかけてくれるようになりました。

 

 口調、声のかけ方、態度などを気を付け続けてきたら、生徒たちのBさんに対する態度が変わったというのです。交流分析では「過去と他人は変えられない」と言います。だから、他人を変えようとするより自分を変えた方が良い、と言います。ただ、これは「気持ち」を変えるべきと言っているような気がします。

 私は「スキル」を変えた方が早いと思っています。私はBさんがあげた本やそれ以外のところでもこれらのことを丁寧に取り上げています。それらは1つ1つが貴重な体験を通してその必要性を実感してきたスキルです。

 例えば「廊下などをゆっくり、ひまそうに歩く」というスキルです。これをトレーニングし始めたきっけはある事件でした。私が担任していた女子生徒が授業中にトイレに行ってシンナーを吸飲するという事件が起きたことがあります。相談係になって、担任も兼務していた私はいつも生徒たちにこう言っていました。

「相談係の私が担任だから、クラスのみんなの相談は優先的に聴こうと思っています。何か困ったことがあったら、言ってくださいね」

 しかし、この女子からは何の相談もなく、いきなりシンナー吸飲という事件になりました。急を聞いて保険に室に駆け込んだ私に彼女はこう言いました。

「先生、ごめんね。先生に相談しようと何度も思ったんだけど、いつも先生は忙しそうだったので‥‥言えませんでした‥」

 ショックでした。口で「いつでもおいで」と言いながらも、態度は「忙しいから来るな」と言っていたことになります。これを改善するにはその態度を変えるべきです。「態度」は曖昧な表現です。具体的なスキルにしないと行動の目標・計画になりません。そこで私は生徒に見える可能性のある廊下・教室・グランド・体育館などを歩くときは次のように歩くことをトレーニングし始めました。

・ゆっくり歩く。

・周りをのんびり見渡しながら歩く。

・目の力を緩めて穏やかな表情をつくる。

・時間に余裕をもって移動を始める。

・歩きながら時計を見ない。

・生徒に会ったら「おはよう」などと声を先にかける。

 これはなかなか大変でした。廊下を歩いている時に生徒が「小林先生、ひまそうですね」と生徒が声をかけてくれたのは1年ほどトレーニングしてからでした。これはたぶん誰にでも実行可能なトレーニング項目です。特別な体力、筋力、運動神経などが必要ないからです。つまり誰にでもできるということです。

 空手をやってきた私にとっては1年間で技が身に付くのは「とても楽」なことです。時には1つの技を習得するのに1~2年かかるのは当たり前の世界だからです。もうひとつ「楽」だと思うのは、教師にとって必要なスキルトレーニングはハードな筋力トレーニングではないので、「誰にでもできる」ということです。

 「生徒から怖がられている先生」が「生徒から声をかけてもらえて、相談される先生になる」と考えると、とてつもない距離があるように感じます。人格や人間性や性格が大きな壁になるような気もします。しかし、私は「スキルトレーニング」だと思っています。この考え方が「授業者スキルの体系化」のアイデアにつながってきています。

[この項続く]

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