東京都立産業技術高等専門学校に伺いました

【授業研究】短い時間の講義でしたが質問は次々にいただきました。質問から想像するところでは高専でも授業はなかなか大変な様子です。ここにも私の本を読んで実践している方がいました。とてもうれしいことです。

 終了後、授業改善に熱心に取り組んでいる先生たちから色々な話を伺いました、併せて校内を見学させてもらいました、高専の生徒が作った人工衛星が今も飛んでいるという話にはびっくりしました。色々な話で盛り上がりました。「実際に授業を見せてほしい」というリクエストもありました。長いお付き合いが始まる予感がしました。今後が楽しみです。

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元気づけていただきました

【授業研究】多くの方が山田さんがいなくなって落ち込んでいる私を心配し、気遣ってくださいます。メールやメッセージで、直接声をかけていただいたり‥です。ありがたいことです。

 昨夜は一緒にセミナーを開いたメンバーで集まって飲みました。山田さんの話題をそれほどするわけではないのですが、このメンバー+山田さんで飲んだこともあるので、山田さんと一緒に語り合ってるような気もします。18時半から飲み始めて、あっという間に23時。かなり飲んでしまいました。風邪は抜けたような気がします。

 明日の夜からは山形で4泊5日。天気予報は氷点下や降雪。油断しないで過ごします。昨夜お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。

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読者・実践者がこんなに多い?!

【授業研究】この1~2週間の研修会講師で新しいことに気が付きました。それは私の本を読んでいる人がとても多いということです。それも「3年間、これを基に実践し続けました。自分がやっていることの正当性を確認できました」となどと深く学んでいる人もいました。これはとてもうれしいことです。

 どちらかというと、「読んで参考にしてやっているけどうまく行かない」と言って質問してくる人が多いのです。最近は、その逆に「うまく行っている」という言葉を立て続けに聴くことになっています。「うまくいかない」と聞くと文章で伝えるのには限界があるかな‥と少々落ち込むのですが、「うまく行っている」と聞くと、文章で充分に伝わると自信を持つことができます。

 この何か月かの間に色々なことがあって止まっている「アクティブラーニング入門3」を書く意欲が高まります。冬休みには改めて書き始めたいと思います。

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札幌からの帰還‥くたくた‥

【授業研究】昨日の日曜日。札幌駅を7時ごろに出て、東京に戻ってきました。締め切りが迫っている原稿を処理するためです。もう一つ、出張のための列車とホテルの予約をオンラインでしたところ、二重申込をしてしまったのでこれを帰りのJRの駅で手続きをしました。

 JRの会社の旅行なのにもかかわらず「窓口では対応できません」と断られます。やむなく、その場で電話。一応話は通ったのですが、「キャンセルする切符は緑の窓口で手続きして、取り消しスタンプを押した切符を郵送してください」とのこと。そちらに回ると長蛇の列‥ふー‥。山田さんはこんなミスはしなかったのだろうなあ~とまた山田さんのことを思い出します。

 部屋に戻るとくたくたで、即昼寝。夕方目覚めて深夜までかかって2つの宿題は終了。今朝は少々寝不足で河合塾コスモ名古屋での授業に向かうと‥身体がゾクゾク‥まずい。すぐに薬局で風邪薬を買って飲みました。今日の午後の研修会は延期になったのでそのまま帰宅。薬が効いたか、寒気はなくなってきました。

 山田さんが亡くなってから約2週間。悲しみに耐えて仕事をしていたのは、ある意味では緊張の連続でした。少し落ちついてきた今が危ない時なのかもしれません。気を付けなくては‥。今年の仕事は12/26(水)まで。もうひと息です。倒れないように頑張らなくては。頑張ります。

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札幌数学教育実践研究会に伺いました

【授業研究】今回が第107回という20年近く続いている有志研究会に呼んでいただきました。きっかけは高校2年生の時の同級生です。札幌南高校で2年生の時に同じクラスで、大学も同じ大学、同じ物理学科(学年は私が1つ下でしたが‥)だったNさん。しかし、その後は何十年も音信不通。定年退職する直前に勤務していた高校にいきなり電話がありました。

 「小林、久しぶり。なんか頑張っているじゃない」「どうやって知ったの?」「インターネットや雑誌に小林の名前が載っているものね」‥当時、Nさんは北海道立高校の校長でした。これがきっかけで、研修会講師で札幌に行くときには、当時の担任の先生やクラスメイトと一緒に飲んでいました。

 1年くらい前に飲んでいる時に「小林、頼みがあるんだけどさあ~。俺たちの研究会に講師で来てくれないかなあ。謝金、ものすごく少ないんだけど‥」と依頼されました。高校時代に進級できたのも、卒業後50年もたってから担任の先生に会えたり、同級生と会えたのもNさんのおかげですから、これは断れません。

 2時間のいただいた時間をいっぱいに使ってワークや説明、質疑応答をしました。たくさんの質問をいただきました。夜は懇親会。ここでは「小林さんの本を読んで実践しています」という話が続々。楽しい1日でした。

 実は行きの飛行機は前日から「大雪による欠航の可能性あり」との航空会社からの連絡が来ていました。冷や冷やしていたのですが、無事に予定通りに飛びました。長年続いている「不着なし記録」は山田さんがいなくなって途絶えるのではないかと不安でした。これからは、山田さんが守ってくれて、更にこの記録は伸び続けるのかもしれません。頑張ろうという気持ちが高まります。

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山田さんの告別式とその後

【山田さんの思い出➈】23(金)告別式。満面の笑みをたたえた遺影とうたたねをしているような穏やかな寝姿が救いでした。喪主のご主人が「闘病の苦しみから解放されて良かったと思う」とご挨拶されました。温かい言葉でした。香典返しが全く足りなくなりました。それほど山田さんの人柄に惹かれて多くの皆さんが参列したということです。

 そのまま帰るのは辛かったので、税理士のHさんと授業研究仲間のTさんをコーヒーに誘いました。しばらく語って落ち着きました。その日からこの連載「山田さんの思い出」を書き始めました。最初は1~2回のつもりでしたが結局も9回も続けてしまいました。お読みいただいた皆様にお礼申し上げます。

 その間、facebookやメールで多くの皆さんから励ましをいただきました。ご心配もいただきました。ありがたいことです。感謝申しあげます。

「身近な人の死はこたえますが、先生の力を必要としている人が全国にいます。
 気持ちを強くお持ちになって、健康にくれぐれも留意なされて下さい」

 このメッセージは背中をバンと叩かれた気持ちがしました。山田さんも、きっとそう言うだろうと感じました。

「秘書として、先生がお仕事に専念できるように雑務をシステム化し、

 さらには誰にでも引き継げるように工夫をされていらっしゃった‥

 なんだか、山田様がなされたことから教育に通じるものを感じました」

 このメッセージにははっとさせられました。山田さんは私にああしろこうしろということはありませんでした。しかし、この4年間を通して私は様々な側面で山田さんに育てられた気がします。感謝しつつ、多くの皆さんからの期待に応える仕事を続けたいものです。

 山田さんが亡くなってから今日で11日目になります。そろそろ後ろを振り返ることをひと区切りして、前を向いて歩くことにします。ご心配をいただいている皆様、支援の提案をいただいている皆様、本当にありがとうございます。[この項終わり]

山田さんの死去を伏せる

【山田さんの思い出⑧】山田さんの死去を知ったのは11/20(火)の朝5時、鳥取市内のホテルででした。当日は市内の中学校の公開授業の見学をして講演をすることになっていました。夜も懇親会の予定でした。翌21(水)は京都府の中学校、更に22(木)は大阪の中学校。いずれも朝から夜までの盛りだくさんの計画になっていました。

 涙が流れて止まりません。このままでは人前で泣き出してしまいます。それでは責任を果たせません。それくらいなら、キャンセルした方がいいと思いました。今まで天候・災害などで不着によるセミナー等のキャンセルを一度もしたことがない私です。山田さんともそのことを良く「不思議だよね~」「悪運強いよね」「みんなが待っているからですよ」などと話し合っていました。でも「これは無理」。

  電話をするには早すぎる時間なので、キャンセル依頼のメールを書こうとメーラーを開きました。その時、突然、山田さんの顔が浮かび声が聞こえた気がしました。「私が調整した研修会なんですけど‥」と言ったような気がしました。ドキリとしました。「キャンセルはするなってこと?」‥‥「山田さん、何を言いたいの?」‥そのうちに気づきました。これは山田さんがしてくれた仕事です。それをキャンセルしたら山田さんは悲しむだろうな‥と気が付きました。そうか、山田さんのためにはキャンセルするのではなく、きちんとやり遂げなくてはいけない仕事なんだろうなと考えが変わっていきました。1~2時間すると気持ちもだいぶ落ち着いてきました。

 いつもなら早朝にブログの更新をします。普通、前日のことをアップしていますから、この日の朝のブログでは山田さんのことを書かないことにしました。中学校の先生たちにも話せば色々なお気遣いをさせることになりそうです。第一、そこでみなさんからお悔やみでも言われたら私が泣き出しそうです。

 そこで、この3日間の研修会講師が終わるまでは山田さんの死去については伏せることにしました。口頭でも言わないし、ブログでも触れない。そうやって何事もなかったかのように講師を務める。それが山田さんの遺志に応えることになると思いました。

 それぞれの学校の先生たちの中には山田さんとメールや電話のやりとりをしている方がいます。具合が悪いこともご存じですから「山田さんの具合はどうですか?」と聞いてくれました。「はい、あんまり良くないんです」と嘘を言いづけた3日間でした。その嘘を言いづけた皆さんにはお詫び申し上げます。お許しください。

 22(木)夜。研修会が終わったところでブログに短く「訃報」を出しました。23(金・祝)朝に大阪から東京に戻り、告別式会場に急ぎました。[この項続く]